シネ・ウインド30年目記念インタビュー 第10弾 にいがた映画塾 井上朗子
「みんなが私の妄想に付き合ってくれて形になってっていうのが嬉しかった」
※このインタビューは、月刊ウインド2015年9月号に掲載されたものです。
テレビで深夜映画
――映画はいつ頃から?
井上◆高校生の時はテレビで深夜映画を(笑)。水野晴郎さんの番組とか。田舎なので家から映画館(高田の中劇会館)に行くまで車で40分くらいかかるんですよ。映画館で映画を見る環境もなくて、テレビとかレンタルビデオを隣の柿崎町に借りに行ったりして。でも、本を読む方が手軽で身近だったし、自分の中心にあったので、高校の時は村上春樹、大学の時は大江健三郎。卒論も大江健三郎でした。悩んでいる時にいろいろ答えを与えてくれた感じが大江健三郎だったので。
――最初に映画を撮ったのは何歳の時?
井上◆18年前だから24歳くらいから撮り始めました。映画塾で。
――にいがた映画塾はいつから?
井上◆97年の受講です。映画塾初代代表の矢部孝男さんと知り合いで、矢部さんが映画塾をやるっていうから1期を受講しようと思って行ったら、もういっぱいだったんです。1期は受講生が60人くらいいたんですよ。その時はスタッフで参加して、2期で受講しました。シネ・ウインドは「風の便り」(当時出していた時間案内チラシ)とかを見て、大学生の時に映画を見にきてました。新潟大学だったのですが、就職活動の時、文化現場のチラシや「風だるま」を読んで、活字に関わる仕事がしたかったので、文化現場に会社訪問したんです。事務所が小川弘幸さんのアパート。ちょうどその頃、矢部さんも文化現場を手伝っていて。結局他のところに就職したんですけど、飲み会に呼んでもらったり、イベントのスタッフをしたりして、文化現場を通してたくさんの人と知り合いました。私はシネ・ウインドのボランティアスタッフはやってなくて、映画を楽しみに見るだけなんだけど、関わった方々に、ウインドに関わっている方々が多かったんですね。
就職して新潟市の東堀に引っ越してきて、自転車でシネ・ウインドに行けるようになって、よく映画を見に行くようになったんですけど、ハマったのは、中村賢作さんの“HOGA‐BIN”。監督さんをガンガン呼んだりしてた頃。監督さんに会いたくて映画塾に行ったっていうのもあるんです。結局、日本映画とフランス映画が好きなんですよ。それ以外はホント、見てないんです。今でも映画館に見に行くのは邦画。
私の妄想に付き合ってくれて
――映画塾を受講したのは社会人になってからですよね?
井上◆文章を書いて表現したい、っていうのがあったんですけど、根性がなくて(笑)、「ばらだるま」の、江村(隆芳)さんの小説(「橋をわたった」)しか今まで書いてないんです。映画塾に行ったら、監督させてもらえたっていうのがラッキーでもあったんだけど、みんなが私の妄想に付き合ってくれて形になっていうのが嬉しかった。ちょっとハマった感じですよね。みんなと話しながらできるのが性に合ってたみたいで。結局、地道な作業よりも人と話す方が好きだったっていうことなんですけど(笑)。最初の「記憶の記録」が映画塾の2期の卒業製作。小林茂監督、今関あきよし監督というすごい組み合わせでお手伝いいただいたんですよ。映画塾で他の人の作品を見るのもいい経験でした。
――「記憶の記録」は16ミリなんですね。
井上◆映画塾は、最初はフィルムでやってたので。1期は35ミリもやったんですよ。時代があっという間に変わっちゃったけど、当時はまだフィルムの時代だったから。「うれしい、着ぐるみ」も16ミリ。映画塾の人や、シネ・ウインド関係の人にも手伝ってもらって。
――映画塾のスタッフになったのはもっと映画を撮りたかったから?
井上◆それもありますね、人脈っていうか。映画塾の人がいなければ私の映画も作れないので(笑)。
――映画はひとりじゃ撮れないものね。
井上◆映画塾で、スタッフや役者さんが一生懸命やってくれてるのに、あまりにも自分の監督ぶりがダメだなぁと思って、東京のイメージフォーラムの講座に勉強しに行きました。劇映画ではなくて、個人映画とか実験映画とかのところ。「ダイアローグ1999」はイメージフォーラムの卒業作品なんですよ。
――どうしてイメージフォーラム?
井上◆ひとつには、鈴木志郎康という詩人が先生をやっていたから。私、現代詩が好きで、読書会をやったりしてたんですよ。鈴木さんの詩が好きだったし、鈴木さんは映像作家でもあるし。毎週土曜日、深夜の高速バスで、1年間。今でもその時の人たちとは付き合いがあるんですけど、鈴木さんだけじゃなくて、先生方がすごく濃いんですよね(笑)。それが刺戟的だった。
で、その時、ホントにお金なくて。講座の費用が26万円だったかな。働いてはいたんだけど、交通費もあって大変で。その厳しい時期にシネ・ウインドでビデオテープとか借りることができて、すごく助かったんですよ。ウインドの思い出っていうとそれがすごくあるんです。本とかも。その中で、今思うと貴重な作品をいろいろ見せてもらって、お世話になりました。
――イメージフォーラムに行って、井上さんは変わりましたか?
井上◆そうですね…。いいことか悪いことかわからないんだけど、それまでは普通の映画というか、ドラマを撮っていたのが、何のジャンルにも属さない映画を目指すようになりました。ドキュメンタリーでもなく、ドラマでもなく、という。映画ももっと自由であっていいんじゃないかな、っていうのがあって、全然違う考え方から新しい映画が出てくるって思ってるので。ジャンルにとらわれないっていうかな。
「ダイアローグ1999」はいろんな人に話を訊いて回るっていう作品です。実は「記憶の記録」もそうなんですけど。ドキュメンタリーっていえばドキュメンタリーです。江村さんに出てもらったり。江村さんは、「うれしい、着ぐるみ」にも出てもらってます。江村さんとなんで個人的に親しくなったのかはよく覚えてないけど、最初に会ったのは「ちゃむらぼん写真クラブ」関係。お惣菜とか作って、会社に持ってきてくれたり。おうちに呼ばれて、すき焼きご馳走になったりとか、江村コレクションを貸してもらったり。一緒に本屋に行ったり、映画作りを協力してもらったり。私が30歳くらいの時に江村さんは60歳くらいだったかな。
――江村さんはシネ・ウインドを作る時からいた人。もともと映写技師さんですね。ちょっと違うけど、フーテンの寅さんみたいな感じ。いろんなことに興味を持ってた人でしたね(江村さんは07年1月逝去)。
8区ムービー2015
――井上さんは映画塾の代表なんですよね。
井上◆代表は、最初は矢部さん、笹崎隆さんが引き継いで、その次が私。なんで私が代表かっていうと、映画塾って代表が何人いてもいいようなところで、みんなが中心になって活動できるし、それぞれ自分でいろいろプロジェクトを回していく。その都度メンバーが変わったり、変らなかったりするんですけど、今、私が一番何もやってないから(笑)。
――事業としては、春から夏にかけての講座。
井上◆あとはラジオ番組もやってます。
――ウインドの周年祭でやってる「にいがたインディーズムービーフェスティバル」は?
井上◆それは一応別団体。でも関わってる人はだいたい一緒ですね。あとは上映会とか、各種協力など。
――ちょっと前に8区ムービーとか作って、一生懸命に上映会もやってましたよね。
井上◆そうそう。今また作ってるんです。「水と土の芸術祭2015」市民プロジェクトの助成金をいただいて。私はまた中央区の映画を撮ってます。前の中央区の映画は「地べたに横になる」で、安達修子さんと第二黎明期の高橋景子さんに出てもらいました。
――今回も8区全部作るのですか。
井上◆いつかは(笑)。助成金の中からはとりあえず3つ。ベースキャンプ(旧二葉中)で10月3日に上映します。
――会場は「潟の夢映画祭」ってところかな? 寝転がって見られるようになってるとこ。
井上◆10月3日にはそこでやります。他の場所でもやるかもしれない。中央区は今撮ってるところなんですけど、東区はだいたいできてて、西蒲区は8月末から撮る予定です。(※10/3「水と土の芸術祭」ベースキャンプ・旧二葉中、10/12西蒲区越前浜「海の家ばうわう」にて、上映会が開催されました)
映画塾がおもしろい
――好きな監督さんのリストをいただきましたが、この方たちは井上さんの目標?
井上◆自分にとって重要な人。シネ・ウインドが自分にとって重要なのは、監督さんに会えるということ。今年は特にすごい。
――リストにあった風間志織監督、山本政志監督、今関あきよし監督の3人とも来館されましたね。
井上◆映画塾の講座にゲスト講師として来ていただいた監督さんたちです。諏訪敦彦監督なんて、何のコネもなく、私が連絡して来てもらったこともあった。その意味では廣木隆一監督とか、もちろん手塚眞さんもすごく刺激的で、それで映画にハマっていったっていうのもあります。
――お付き合いの範囲が広く、また大事にされているなぁ、と感じます。
井上◆それがないとね、全然、何もないですから。空っぽなんで(笑)。
――若い人の映画製作にスタッフとしてついて、どんな感じですか。口出したくなるとか?
井上◆いやぁ、勝手にやらせているほう。自分も自信ないから。映画って、若いからできないわけじゃないんで。対等じゃないですか。私はずっと映画塾にいるんだけど、その後、新しい人も来たり、東京の映画の世界に行く人もいる。変化しつつ変わらなかったり、誰でもウェルカムな感じです。映画塾、おもしろくて。なんで映画塾にハマってったかっていうと、映画塾に来る人がおもしろい。いろんな人が来ます、老若男女。映画を作るということで、社会的地位とか無視して、全く同じ感覚で頼めるし。他にも魅力的な世界とか、尊敬する人とかいいろいろいるんですけど、映画塾が気張らずしっくりくるんです。
――これからも続きそうですか?
井上◆ねぇ~(笑)、まだやってんの?って言われるんだけど。今いる人には今が旬の映画塾だから。
――毎年、常に受講生がいますよね。
井上◆1人の時もあったんですよ。今年は8人。少ない方がやりやすいというところもある。ひとりひとりの作品も撮れるし。講座があるから映画塾を続けていける。新しい人が来るから新しい風で続けていけるかな、と。
ワンショット
――作家としては、今後どんなものを作っていきたいですか。
井上◆今、8区ムービーの中央区編を、i-MEDIA(国際映像メディア専門学校)の俳優科の男の子とほぼ2人で撮ってます。最近、映画はワンショットがいいんじゃないかと思ってて。(映画中では)人と話している時間もあって、だからセリフもあるんだけど、セリフなしで、サイレントじゃないんだけど、1人でいる時間だけを撮る感じで。でも、それが映画として成立するかどうか不安なんですけどね。
「リトル・フォレスト」って映画(監督/森淳一)。あれが結構、ワンショットが多くて、最近ハマってます。おもしろいなぁと思って。ひとりごととか言うんです、橋本愛が。今やってみたいのはそれなんですよね。
――見た映画からの影響がありますか?
井上◆結局そうですね。自分がやりたいのと、いろんな映画を見て気づかされるのを合わせて、みたいな。
あと、ここ10年くらいで一番おもしろい映画監督が横浜聡子。あんまり撮ってないんですけど。「ウルトラミラクルラブストーリー」とインディーズ系。先が読めない映画。
――映画を作るなら映画を見た方がいい?
井上◆いえ、そんなことは全然。他人の映画はまったく見ないっていう主義の人もいるし。偉そうな言い方だけど、映画なんて100年ちょっとの歴史だから、美術とか文学とか、きっちりやってる人のほうが本物だと思いますよ。映画は振り幅があって、やれることがいろいろあるけど、薄っぺらいところもあるし(笑)。他の分野のほうがすごい。
――映画は、芸術性と商業性との兼ね合いが難しいと思います。
井上◆すごくお金がかかる、っていうこともあるし。
――最近じゃスマホで1人でも撮れるけど、基本的には1人じゃできないはず。
井上◆商業映画より自主映画の方が好きなんですよね。ドラマよりもドキュメンタリー。隙があるほうがおもしろいかなぁ、と思って。
――みっちり計算されたものよりは、ってこと? 物語だと基本は計算されてるよね。
井上◆特にハリウッドの世界とかは。
――画面の中に不要なものがない、みたいな。
井上◆それも大事なんだけど、むしろ隙とか空気感とかねらってるほうがおもしろい。ハリウッド映画が好きじゃないのはなんでかな。
――どうでもいいというより、積極的に「好きじゃない」んですね?
井上◆好きじゃないから見てない。見るのはヨーロッパ系やアメリカでもインディーズ系。
――それって昔から? テレビでやってるのってハリウッド映画じゃないですか。
井上◆でも、私、「E.T.」見てないです。あ、でも、「バック・トゥー・ザ・フューチャー」は見てるなぁ(笑)。
気楽に関わってもらいたい
――最後に、これを言っておきたいということとか。
井上◆映画塾に気楽に関わってもらえれば嬉しいです。敷居は低いですから(笑)。
――ウインドは30年目です。今後のウインドに対して、何かコメントなど。
井上◆おめでとうございます。齋藤さんや市川さんがウインドをやっているというすごさ。うちらがそのおかげで遊ばせてもらっているっていう(笑)。好きなことができるのもシネ・ウインドのおかげだし。これからもシネ・ウインドがあり続けてもらえれば。ウインドがあるから、私は新潟にいるって断言できる。自分にとって重要な場所なので、存在し続けてもらいたいです。
――またシネ・ウインドで映画塾作品の上映会ができたらいいですね。
井上◆ホントに弱い者の味方でいていただいてありがたいです(笑)。コバンザメのようについて行きますんで(笑)。
――井上さんは「長岡インディーズムービーコンペティション」の審査員でしたね。
井上◆自分が昔出品して落とされることも多かったし、やらせてもらえて嬉しいんですけど、審査は(出品作品全部を)見るのが大変で(笑)。9月の「ながおか映画祭」での上映会はぜひいらしていただきたいです。(※9/23に開催されました)
――映画塾のスタッフって何人くらいいるんですか?
井上◆ざっくり20人くらい。会費を払っている人は40~50人。卒業生全員が会員になるから200~300人はいると思います。
――20年の歴史ですね。これからもがんばってください。
※7月24日、シネ・ウインドにて
テープ起こし・構成 岸じゅん
聞き手・文・構成・ページ担当 市川明美
■井上朗子(いのうえ あきこ)…にいがた映画塾代表。1973年生まれ、新潟県上越市吉川区出身、新潟市在住。1997年、第2期にいがた映画塾講座受講(第1、3~20期はスタッフとして参加)。1999年、イメージフォーラム付属映像研究所受講。インタビュー当時は、「にいがた映画塾8区ムービー2015」中央区編を製作中。
●監督作品
「記憶の記録」(1997/16ミリ/5分)
「毛布」(1998/8ミリ/27分)※第21回神奈川県映像コンクール入選
「うれしい、着ぐるみ」(1998/16ミリ/20分)※夕張国際ファンタスティック映画祭2000オフシアター部門入選、大阪プラネット映画祭2000上映
「ダイアローグ1999」(2000/8ミリ/38分)※第16回あきるの映画祭フィルムコンテストグランプリ、山形国際ドキュメンタリー映画祭2001上映
「アニメの夜」(8ミリ/20分)
「友情を込めて」(8ミリ/12分)
「小さな感情」(8ミリ/20分)
「骨に」(2005/8ミリ/9分)
「地べたに横になる」(2009/ビデオ/43分)
「ダイアローグ2012」(2012/ビデオ/45分)【共同監督】
●好きな映画監督…風間志織、山本政志、今関あきよし、諏訪敦彦、長尾直樹、横浜聡子、川島雄三、エリック・ロメール、ジャック・リヴェット、アルノー・デプレシャン
●影響を受けた作家…村上春樹「ノルウェイの森」「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」「ダンス・ダンス・ダンス」等、大江健三郎「雨の木(レインツリー)を聴く女たち」「同時代ゲーム」等、現代詩作家 荒川洋治の著作、保坂和志の小説、加賀乙彦「宣告」
■にいがた映画塾…自主映画制作/上映を応援する市民団体。新潟市内で撮影された手塚眞監督の映画「白痴」をきっかけに、1996年設立(第1期は97年1月から)。ビギナー向け映画作り体験市民講座「にいがた映画塾」の開催や、上映会の企画・開催、映画制作支援、ラジオ番組制作(ラジオチャット〈エフエム新津〉76.1MHz日曜15時「にいがた・ニモ」)など多彩に活動中。「水と土の芸術祭2012」では市民プロジェクトとして共同監督作品「ダイアローグ2012」(2012年・ビデオ・45分)が製作され、シネ・ウインドでも上映。また、にいがた映画塾の作品は、毎年11月にシネ・ウインド周年祭で開催される「にいがたインディーズムービーフェスティバル」で上映されている。
開催中の「水と土の芸術祭2015」にも市民プロジェクトとして参加しており、井上さんはインタビュー当時、2009年より3ヵ年かけて製作したシリーズの第2弾、「にいがた映画塾8区ムービー2015」の中央区編を撮影中。
●井上朗子さんの小説が掲載された「ばらだるま」はシネ・ウインドでも販売しています。(定価500円)
●月刊ウインド2015年9月号に講座受講者による「映画塾講座体験記」あり
シネ・ウインド30周年祭で開催される「にいがたインディーズムービーフェスティバル アンタの映画見せてやれっ!! その19」でも、にいがた映画塾の作品が上映されます。自主制作映画ファンの皆さん、そしてまだ見たことがない方にも、映画館でまとめて見られるチャンスです。こちらもよろしく!
◎「にいがたインディーズムービーフェスティバル アンタの映画見せてやれっ!! その19」
11/15(日) 10:45開場 11:00開始 17:45終了予定
料金:前売1000円 当日1200円 ※半券で何度でも再入場可
主催:インディーズムービーフェスティバル実行委員会(090-2233-7948 大橋)