山形国際ドキュメンタリー映画祭 座談会

2023年11月28日
荒木夏実

月刊ウインド12月号に掲載された山形国際ドキュメンタリー映画祭レポートをお読み頂き有難うございます。
2023年のYIDFFを体感した6名が感じたことをありのままに語った1時間半。
まだまだ話し足りない程、色んな話題に広がりました。

目次

◆自己紹介
◆今回の山ドキュ 感想と驚き
◆ここは凄い!新香味庵クラブ
◆観客が楽しめる工夫も渾身
◆山ドキュを体感して気になった運営
◆山ドキュで知った山形の街
◆山ドキュと新潟、ドキュメンタリー
◆敢えて山ドキュの不便さを挙げるなら?
◆山ドキュを経て新潟の映画祭を考える


座談会開催日 2023年10月21日
発案者 井上経久
書き起し 荒木夏実
写真提供 五十嵐政人,井上経久,荒木夏実

自己紹介

荒木 
まず最初に参加者の自己紹介をしたいと思います。

井上
井上経久です。シネ・ウインドの支配人です。山形国際ドキュメンタリー映画祭(以下、山ドキュ)は2回目です。20年ぶりぐらいだと思いましたけど、『静かな空間』というフィンランド映画を観て以来ですね。今回は来年の3月に 新潟国際アニメーション映画祭(以下、新潟アニメ)を行うので自分なりに映画祭に触れておきたい、体験しておきたいと思ったのと、もちろん映画に興味があって行きました。1泊2日でした。

山本
新潟県立大学所属の山本朱莉と申します。4年生です。
山ドキュは一昨年の受賞作品をリバイバル上映していて、それを含めると2回目でした。 私はやっぱり映画を観るっていうその行為自体が好きで、学生なので1週間行ったんですけど、 1週間も映画館で映画を観るっていう映画漬けになるっていう体験がまずしたくてそれで行ったところもあります。

山崎
山崎です。月刊ウインドの編集部 です。山ドキュに行ったのは、編集部の予定が合う人達で行こうとなって一泊二日で行きました。今まで映画祭って行ったことはなくて、自分的にはそんなに映画マニアっていうほどの感じではなくて、普通に面白そうな映画あったら観に行くぐらいの感じなので一般的な人の感覚に近いのかなと思います。

久志田
月刊ウインド編集部、安吾の会事務局長の久志田渉でございます。
もちろん映画もたくさん観ますけど私は映画よりは文学がね。でも映画もたくさん観ています。
山ドキュは多分2回目です。もしかしたら、もう1回行ってたかもしれないけど、確実に行ったのは2011年。2泊3日で。調べたら12本ぐらい観てました。
今回も当初1泊2日の予定でしたけど帰りたくなくなりまして、2泊3日しました。今回は7プログラムで8本か。めっきり衰えました。非常に新鮮な体験でしたね。2年後も絶対行きます。

五十嵐
五十嵐政人です。シネ・ウインド創設からの1人です。 新潟市役所の職員だったけれども、この4月からはフリーです。にいがた映画塾の事務局長をやっていました。山ドキュについては始まる前から知っています。今まで18回やっているうち16回行っていて、前回のネット配信と、初回だけちょっと個人的な都合で行けなかった。
で、僕の人生で観た素晴らしい映画100本のうち、30本は山ドキュかもしれないなって思っています。

荒木
荒木夏実です。月刊ウインド編集部です。自主映画で脚本、監督、編集をやった経験もあって、映画祭の運営の経験もあります。映画を観るのも好きで、特にハマってるのは韓国映画です。映画祭も殆どインディーズですが県外にも観に行ってました。山ドキュは今回初めてです。1泊2日でした。

今回の山ドキュ 感想と驚き

荒木
皆さん今回行ってみてどうでした?

山本
山ドキュのラインナップは特にだったんですけど、ドキュメンタリーのカメラを向けられた被写体の言い淀み、言いたくないみたいな、そういった瞬間が現れたときに、じゃあそれを観ている私の立場はどうなんだろうっていうことを常に考えさせられる機会にもなって、そういったことも含めて非常に良い機会だったなと思っています。

荒木 おぉ。凄い。

井上 僕は3本しか観なかったんだよね今回(笑)。

五十嵐 俺も実はそんなに今回観れなかったんだよね。

井上
しかもコンペは1本も観てないんだよね。10日に仕事が立て込んじゃって15時にフォーラムに着いてそのまま観たから全部審査員作品ばっかり(笑)。

五十嵐 そうだね。10・11日だと観れる作品が…

井上
『あなたの微笑み』を観て、その夜は『阿賀に生きる』の芋煮会に行って、11日は『愛しきソナ』と『揺れる心』を観て。で、それで帰ろうと思ったんだけどヤン・ヨンヒ監督が13時から『白塔の光』やるから絶対観た方がいいって言うんでじゃあ絶対観てから帰ろうと。
そこで英語の紹介とかね監督のディスカッション、ティーチインの英語も、まあ多少違うかもしんないけど同時通訳のクオリティの高さに驚いた。

(リム・カーワイ監督『あなたの微笑み』)
(ヤン・ヨンヒ監督『愛しきソナ』『揺れる心』
(チャン・リュル監督『白塔の光』)

荒木 そうそうそう!

井上
ちょっとビックリした。うんうん。今回審査員だった映画監督のヤン・ヨンヒさんの作品観たんだけど、ヤン・ヨンヒさん最後に「同時通訳者の方に拍手を!」って言ったからね。うん、凄かった。自分でさえも凄いと思った!

荒木
私、韓国語しか分からないけど一言一句漏らさずに日本語で通訳していて、こんな丁寧に監督の言葉を大切にしてる通訳初めて見ましたね。お客さんの質問も大事にされてて。また会場に入ると山ドキュの日本人スタッフの方がアナウンスしてるんですけど、日本語の後に英語でアナウンスをし始めて国際映画祭って英語のアナウンスがあるんだなって思って。
来てるお客さんでも結構海外の方が来てるし。英語圏じゃない監督が母国語で話すとそれを日本語通訳して英語通訳もするっていう。Q&Aも2回通訳するから通訳渋滞が起こるのを見て「ザ!国際!」を感じて感動!

久志田 そう、国際の名に恥じないよね。

荒木
また山ドキュは映画を求めて皆んなここに来てるんだなっていう活気が凄いし感情がわいてる。これが映画祭なのか!っていう感じがして、今まで行った映画祭とは印象が全然違ったなと思いましたね。

久志田
とにかく会場の空気がいい。笑い声がとにかく起こる。響めきも起こる。
いい意味で映画館ってのは1人で行くもんだけど、周りに誰かがいるという、1人なんだけど皆んなでこう一緒に観るっていうあの喜びを久々に感じたな。

五十嵐
山ドキュもこの30年で様変わりしてるなっやっぱ思いますね。開催当時のドキュメンタリーなんてさ、もうむさ苦しい男の世界なわけ。
だけれども、前々回、今回見ればわかるように、もう本当に若い人とか、 あと女性が増えていて、それはもう来場者もそうだし、あと関係者、監督さんとか撮影者、スタッフで女性がすご多くなっていて、 もう本当に様変わりしてますよね。あとボランティアもすごく多くて。最初の頃は全然いなかったんだけれども、ボランティアが主体になって今は動いているっていう感じで大きく変わったなと。

久志田
2011年に行った時はね、こういう感じの客層ではなかったと思う。本当、五十嵐さんの言う通りもうちょっとむさ苦しかった。若い子なんかいなかったもん。俺が多分一番若いぐらいじゃないか当時20代後半で(笑)。若い子とか女性がこんな風にいるのは、ちょっと 様変わりしてるって本当に思ったなあ。で、海外の人もいるのはもちろんだけど、日本のいわゆる映画オタクっぽくない、なんていうのかね、カジュアルに映画を楽しんでるような子たちもどんどん入ってきて、映画を本当に楽しんで観てる。 

荒木
私、編集部で行きましょうって声掛けたけど、正直ドキュメンタリーの映画祭を楽しめるのかちょっと不安だったんですよね(笑)。想像ではお客さんも気難しい感じの人ばっかなんじゃ無いかって思ってたけど、老若男女色んな人が居てとても馴染み易かった。

久志田
来ているお客さんで言うと凄いのがパッと見てわかる柳下毅一郎さんとかだけじゃなくて、ものすごい有名な映画評論家とか映画界の有名人が、後でtwitter見ると「え。この人たち来てたの!?」って顔知らないけどっていう人がやたらと居て、えーじゃあ通り過ぎてたかもしんないとか。それがまた凄いね。

井上
そうだね。映画祭に行く人がいっぱい居るんだってことが分かった。
規模は全然違うんだけども映画祭ってこうなんだなと思った。それは、これまでにいがた国際映画祭では僕あんま体験したことなかったから。
僕は映画館の仕事をしてるじゃない。だから興味があるわけよ。普通に仕事として。そういう人たちがいっぱい集まってるんだなと思った。

久志田
普通だったらお客さんが沢山来ないような映画に、これだけ色んな世界の人が集まって皆んなで盛り上がって、笑いも要所要所で起こって。

五十嵐
4年振りっていうこともあって、やっぱり伊藤理事長さん(NPO山形国際ドキュメンタリー映画祭の伊藤光一郎理事長)なんかも「今回は事務局が考えている以上に人が来ているし、盛り上がってる感じがするし良い感じだった」って言ってましたね。それは、 ずっとスタッフをやっている藤岡朝子さんとかね、通訳をやってる山之内悦子さんなんかも話をしてきたんだけれども、いや、今回はすごく今までに増してね、 やっぱ盛り上がりとかが。あとこう人肌の感じがするよねっていう。
やっぱネットでずっと観ていたから、それの反応があるんだよね。

久志田 あーそうだねぇオンラインじゃなくって。

五十嵐
うん、みんなで観るっていうね。これもこれもあれも観たいっていうさ。コンペの15本以外で全部で200本ぐらいやってるわけだよね。 だからもう俺もそうなんだけれども、とても観きれないんだよね。

荒木
私は観たい国をとりあえず挙げて、それで観られなかったら近くでやってる映画を観るみたいな感じだったけどどれも良かった。

五十嵐
実は言うと、何でもよいなと思って観てる。あんまり人がどうこうじゃなくて、たまたま時間空いてるとかね。たまたま、これ良いよって聞いた映画とかね、やってる映画がよいから出来る事なんだけど。

久志田
山ドキュが面白いのは色んな世界に目を向けたいし、今回はイスラエルであんなことが起こってるから真面目な気持ちでも行くんだけど、 純然と映画の面白さにも気付ける。どっちもあるもの。

井上
なんかこう、物量の力ってありますよね。ボリュームがあるから、そこにほだされると言いますかね。

久志田
あとわずかなあの作品紹介で勘をつける。これは良さそうだなって。
1人の人間では観切れないものをやっている。そこからどう取捨選択するかっていう、その楽しみ。

井上
だから何でもよいんだと思った。
普段僕が映画館で観る観方とちょっと違うっていうか。空いてる時間だから観るとか、それでも楽しめるんだなと思った。
こう、観るからにはお金払ってるからには、ちょっとどっか意図を見つけようっていう習慣がついている。

五十嵐
全く予備知識なく行ってこんなに楽しめる映画祭じゃないですか。これってほぼさ、何が良いとか悪いとか無くって、行ってみて初めて分かるみたいなところがあるから、それは面白いよね。

山崎
そうですね。こう、偶然に身を任せるのが面白いなと思って。私、『ニッツ・アイランド』(フランス)観たんですけど、 ゲームの世界で映画を撮ったっていう、これはドキュメンタリーと言っていいのか、映画って言っていいのかみたいなところから、現実とはみたいな凄い抽象的な感じになってきて。Q&Aも、その現実って体があるっていう事の他に何かありますか?違いがあるんですか?みたいな(笑)。そんな哲学的な問答になってきて通訳の人もどうやって訳したら良いのか戸惑って会場に笑いが起こったり(笑)。あれが一番楽しかったです(笑)。

(エキエム・バルビエ、ギレム・コース、カンタン・レルグアルク監督『ニッツ・アイランド』)

井上 そういうライブ感もありますもんね。それも面白いですね。

荒木
山ドキュはほぼ全作品監督のトークとQ&Aがあるっていうのが良くてドキュメンタリー映画だからこそ感じるものがあって。あの映画の画を目の前に居る人が現地で撮って作品になって今ここに居るんだって思うと、ここが山形なのかどこなの分からなくなる感覚っていうか、その映画と国が自分の延長線上に有るんだって実感する凄い不思議体験でしたね。

五十嵐
そうね、あの『東部戦線』(ウクライナ)なんかあの監督があの最前線に行ってたと思うとね。この人、生きてここに今いるんだなっていう、なんか不思議な感じがして。

(ヴィタリー・マンスキー、イェウヘン・ティタレンコ監督『東部戦線』)

荒木 監督の車、銃弾でボコボコだし目の前で爆破起きてたし。

左:山之内悦子さん 右:東部戦線監督

久志田
レバノンの監督もこれから帰るんだなと思うと大丈夫かねって心配だったり。

(イレーネ・M・ボレゴ監督『訪問、秘密の庭』)

井上 そうですね。

荒木
ミャンマーのクーデターを撮った監督さんは二人とも匿名出品で身の危険があるから来れなかったですけどね。どの作品も素直で誇張や過剰な演出が無いから監督も映画の中の人も自分と同じ時間を生きているのを感じて、ミャンマーの監督が今ここに来れないってことが山ドキュでない所で観れば心にズーンと来る暗い現実なんだけど、こういう状況を受け入れながら今も頑張ってるんだなって思える。変な例えだけど転勤した同僚が向こうで色々大変だから帰郷出来ないみたいな身近さで嘆くより応援したくなりましたね。

(匿名『負け戦でも』 匿名『鳥が飛び立つとき』)

五十嵐 
そうだ、大賞獲った監督今回来てないんだ。前回も大賞を獲った監督来てないんだよ、確か。だから必ずしも来れるわけじゃ無い。何らかの理由があって来れないんだろうけれどもさ。

(パヤル・カパーリヤー監督『何も知らない夜(インド/フランス)』)

久志田 いろんな情勢があったり…

上 いやー凄いね。色々ね。

五十嵐
だから、やっぱああいう海外から来る人のためにも、やっぱり客席は満席にしたいなっていうのがあって…

荒木
やっぱ映画作って世に出してる人は多くの人に観てもらいたいですよね。作って報われるとこって先ずそこだと思うし観客の様子とか意見交換で次の作品を作る糧になるし。山ドキュは観客が多い。私もドキュメンタリー撮るなら山ドキュ挑戦したくなりますもん。

久志田 コンペは結構空いてますよ。

五十嵐 
コンペの会場の山形市民会館はキャパが大きくて(席数1,202)、あそこいつも空いてんのよ。それでもまあまあ今回は混んでたと思う。アズ(山形中央公民館ホール:席数600)はほぼ7割ぐらい。いつもいっぱいですね。フォーラム山形はいつも満席なのね。キャパが小っちゃいからさ(席数200,162)。

山形市民会館大ホール座席表

フォーラム山形の満員会場

荒木 フォーラム山形は立ち観が結構出てました。

井上 立ち観も居たんですか。

荒木 結構な頻度で。

山本
今年はお客さんが多くて運営側も結構焦ってるっていうのを、知り合った学生スタッフの方がおっしゃってました。私も立ち観何本かしたんで、 そうなんだなって思いました。

井上 立ち観なんて凄いね。立ち観で入れちゃうんだね。凄いな。

五十嵐 入れないのもあったよ。もう立ち観も無理っていう。

満席の案内

久志田 よくtwitterからこれは行列できてますみたいなのが流れてきた。

五十嵐
そうそうそう、やまぎん県民ホールっていう所で経産省がバックアップして野外ステージを作ってイベントをやってる。あれはちょっと驚いた。震災絡みのお金を使って経済産業省がやってた。

特設された野外スクリーン

(野外スクリーンで東北を魅る)

井上
高崎のコミュニティシネマ会議でその話が出た。それは知ってたんですよね。

五十嵐
すごい野外スクリーンを作って、いつから山ドキュにこんなにお金があるのかと思って聞いたら経産省なのね。ただね、経産省の若手職員がいっぱい居て、若い人たちがやっていて、それは非常に好感が持てた。
お金もかなり使ったと思うし、雨が降ってて椅子かなんかも一生懸命手ぬぐいで拭いてたしね。
その後、なんと驚くべきことにパーティーがあったのよ。みんなが入れる。誰でも行ける。で、関係者もいたし俺も行ってみたけど。あんなの今迄で初めて。さすがお国がやることは違うよね。

イベントパーティーの様子

井上
会場のことで言うと 市民会館で音が良いって珍しいので驚きましたね。最後に観た『白塔の光』。5.1chかなと思う。相当調整したものをやってました。あんなホールで、こんなところから聞こえてくるからね。凄かった。今まで色んなホールで観たことあるけどあんなの無かった。多分DCPだと思うけども、映写のクオリティも高かったし。

山形市民会館大ホール風景

久志田 あ、そっか。画質も綺麗だったなぁ。

井上
流石だな。もうちゃんと山ドキュとか国際型仕様になってるんだなってちょっと驚いた。

荒木 スクリーンも汚くなくてちゃんと観られて良かった。

久志田
上映で思い出したのは、今回のペドロ・コスタ監督の映画はたった8分だけど、8分だけでどう上映するかっていうとこに監督が直接「じゃあこのゴダールの映画と一緒にやって下さい」って、ここだけでその2本立てなわけよ。そういう作り手が日本に来れない監督も皆んなにこういう形で観てもらいたいっていうのが1つの例だけど、そういうことができるの素敵やねっていう。

(ペドロ・コスタ監督『火の娘たち』ジャン=リュック・ゴダール監督『言葉の力』)

五十嵐
丁寧にやってるよね。映画の上映にしても受付にしてもこの映画祭は丁寧だなっていつも思うのね。 それは映画に対しても敬意を払ってるし、市民に対しても敬意を払ってるし、そういう部分に僕らは敬意を払いたいっていう。それがやっぱりないと、どういうイベントでもやっぱただのイベントになっちゃうから。だから電通からむとつまんないのは、そういう部分が無いって事なんだよね。これってすごい気を遣ってる映画祭かなって。それ大事。

ここは凄い!新香味庵クラブ


新香味庵クラブは映画祭ゲストとファンの交流会
参加費500円で4日間(21:00〜24:00)に渡り開かれました。

五十嵐
香味庵はアズ七日町から500mぐらい歩いたところで、今もう道路の拡幅と経営的に厳しいってことで無くなっちゃったんですね。元々は漬物屋さんを交流の場として解放していて、誰でも500円で入れるというところだったのね。新潟から行けば必ずそこに映画関係者がいるから行ってた。例えば僕らは『阿賀に生きる』のチームで佐藤真監督とか撮影の小林茂さんとかにいがた映画塾の人達と行ったりしていて。海外の方も来ているし、 まあ面白かったわね。雑然としていて。

久志田  今回はあのホテルに移ってね。

五十嵐 そうだね、山形七日町ワシントンホテル。

久志田
凄かったよな。日曜日の夜行った時も人が入りきれないぐらい居て、俺もう20分ぐらいでここ居られないって。

新香味庵クラブの様子

荒木
廊下で立って飲んでる人たちがうじゃうじゃいて、監督も通訳さんもいて、常連客もいて、他から遊びに来たいろんな映画関係者とかいっぱい居て皆んなイキイキしてた。
常連のお客さんにここ座って良いですか?って聞いて、そこから山ドキュの楽しみ方を色々教えてもらって。「こういう場所では自分で英語喋れた方がいいから英語やった方がいいよ」ってアドバイス貰って。もう目の前で 海外の映画の人たちが皆んなで英語で喋ってて羨ましすぎて(泣) 中1の1学期で英語諦めたけど参考書買いましたもん(笑)。

久志田
俺も中学生の時、反米だって真面目に英語をやらなかったもん(笑)。

五十嵐
『東部戦線』という映画のウクライナの監督さんが居て、通訳者が居る会場では質問したけど、英語もあんまりできないし、ましてウクライナの言葉は出来ないから、ああいう時はちょっと悔しいな残念だなと思うね。あと足立正生さんが居たんでちょっと逃げようとしたよね俺は(笑)。

久志田 俺はご挨拶に行った。

五十嵐
俺は流石に勇気がなくてね。 いや、『REVOLUTION+1』やパレスチナの問題とか聞きたいと思ったんだけど、3日目ぐらいに佐藤広一君が紹介してくれたのよ。その時に足立さんに「ちょっと近づけませんでした」って言ったら「お前何言ってんだ馬鹿野郎!」って怒られた(笑)。

左:足立正生監督 右:五十嵐

(足立正生監督『REVOLUTION+1』)

久志田 荒木さんどうした?

荒木
いや、香味庵で久志田さんが「足立正生さんだ!」って興奮し切ってて、私の頭にバッグをボーン!ってぶつけても気づかずに爆進して行くんだもん(笑)。

久志田 ホントに!?ごめんごめんごめん!

全員 笑

井上 足立正生さんに会ったんですね。

山本 同じ空間で映画も観ましたし。

久志田 荒木さん1時まで居たんでしょ?(笑)

荒木
1時まで居た(笑)。帰るなんて勿体無い(笑)。
私、絶対韓国語で話したいって思ってて、あの人数の中でやっと韓国の人を見つけたら私が韓国で行きたい映画祭のプログラマーの方だったんですよ!そこから紹介してもらってディレクターや監督さんと話せて♪こういう体験ってなかなか無いですよね。私、憧れの人にスッと会えて話せるのも映画ってジャンルにハマッた理由の一つかも(笑)。

久志田 テレビ業界の人も居たんでしょ?

荒木
そうそう。五十嵐さんから紹介してもらって観た作品の感想を話したり、この作品お勧めだよって観るポイントとか教えてもらったり。
あと佐藤広一監督も久しぶりに会えて凄い楽しい監督だった(笑)。

左:佐藤広一監督 右:編集部荒木

井上 山崎さんも香味庵行ったんですか?

山崎 長居はしなかったんですけど行きました。

井上 すごい。夜は自由行動だったんですか?

荒木 編集部3人はご飯だけ一緒に食べて後は自由行動でしたね。

山崎
荒木さんは一人でもう冒険しに行くって感じだった(笑)。私は冒険は無理だなぁと思って。あと何も分からなくてギュウギュウ詰めな感じが無理だったので、雰囲気を味わえただけで(笑)あの熱気は凄いなぁと。

井上
僕はゲストハウスみたいなとこに泊まったんだけど、夜ロビーでダベリ会みたいのあるんだよね。酒が飲めるみたいな感じで。「どっから来たんですか?」とか聞いたら、映画の美術のお仕事をしていて3日間だけ休みが取れたから来たとか言って。あとね、台湾から来た女性は、彼女はヤン・ヨンヒさんのファンみたいで英語でちょっと話をしたんだけど-

荒木 (目を見開いて井上さんをみつめる)

井上
うん、簡単にだよ(笑)。で、今回初めて『愛しきソナ』が観られるからって言って、あと 『揺れる心』って一緒に上映したテレビドキュメンタリーがあって、それはなかなか観られる機会がないからと言っていたね。

久志田
そう俺、2日目も行ったんですよ。最初の日は足立さんから「新潟から来たの?」なんて言われて、翌日シネ・ウインドの専従と挨拶行ったら「おお。来たか」って言われて。

井上
そう、最終日に足立正生さんに会ったら「新潟から君達みたいな勉強してる人間が居てウインドは安泰だね」みたいなこと言われたね。

五十嵐 今回足立さんと話ができたのが良かった。ね!

観客が楽しめる工夫も渾身

荒木
山ドキュって観客の事も考えられてますよね。
あれだけ一つの作品にお客さんが沢山来ても並ぶ時間は結構短かったり、映画祭のカタログも買ってみたら100ページを超える内容でビックリしました。

井上 僕もそれも買いましたよ。3本しか観てないけど(笑)。

久志田
俺も買ったけど敢えて帰りに買ったの。帰ってから作品を振り返る為に。あとこのデイリープレスのSPUTNIKもすごく読み応えがあった。俺、ここで柳下毅一郎さんが『Kim’s video』のこと書いてて、これで観たくなったもん。

SPUTNIK WEB版ダウンロード可

井上 前から毎日出してますよね。ずーっとやってますよね。

五十嵐
うん。ずっとやってると思うな。誌名は違うかもしれないけどずっと毎回毎回出してる。毎日毎日。

井上 日刊ですねよ。

五十嵐 これすごいよね。

久志田 この編集だけでも相当発狂しそうなると思う。

荒木 どこにあったんですか?

五十嵐 会場に置いてあったよ。

荒木 あっそうなんだ。全然気づかなかった。凄い…

五十嵐
これ見て初めてこんな映画やってんのかって気づくこともある。映画評的なものもあるから。

井上 うん。これはちょっと素人じゃできないよね。

五十嵐 これは素人じゃできない。

荒木
そう言えば市民投票の方法良かったですよね。投票用紙を千切る式の。

井上 あ、そうなんですか。投票しなかった。これね。

荒木
私ペンを持ち歩くのとか大嫌いなんだけど、千切って出口に並ぶスタッフの方に渡すだけってゴミを捨てるより簡単に出来る投票がアッパレで全作品投票しました(笑)。

五十嵐
だからそういうのって大事だよね。やっぱり市民も選べるんだっていう。そういうことって大事だから。意外に市民が何を選ぶかっていうのは面白いよね。

井上 そうですよね。

五十嵐 意外に、えっこれが1位かよ。みたいな。

久志田 どのぐらいの点差なんだろうな。

井上 そうね。あれ俺も知りたいね(笑)。

五十嵐 何票ぐらい入ってどれぐらいになってんのかなって。

荒木 でも、結構な割合で入れてますよね。

五十嵐 うん、かなり入れてると思うけどさ。

荒木
スタッフの方達の票を入れて欲しいって姿がとても気持ちよかった。手作りの投票箱を持って。会場の大きさで入るお客さんの数も作品によって違ってくるし平等にはできないけれども、 とても良いなと思って。


山本 お楽しみみたいな感じで良いですよね。

五十嵐 うん、そうそうそう。

久志田 結構結果が気になるのよね。

五十嵐 そうそう。市民賞はね結構気になる。

久志田 俺の場合、応援した映画1本も入らなかった(笑)。

山ドキュを体感して気になった運営

久志田
開催前から関わりのある五十嵐さんに変遷を語ってもらってもいいかもね。

五十嵐
先ず関わりから言うと当初僕のところに役所繋がりで山形市役所の伊藤光一郎さん、今の山ドキュ主催者である認定NPO法人山形国際ドキュメンタリー映画祭の理事長さんがまだ係長さんで、担当になって「どうでしょうかね?」と訊かれたのね。「ドキュメント映画祭はね暗くて人来ないし行政批判もあるから、 まあふさわしくないんじゃないの?」って役人らしく答えました(笑)。ただ、もちろん内心やれたら凄いよねっ、やってほしいと思ってたんだけれども。

荒木 そんな関わりがあったんですね。

五十嵐
山ドキュについては最初の方から言うと、 あの映画祭というのは山形市市制100周年記念事業で、1989年(平成元年)に行ったものです。
隣の上山に小川紳介さんという日本のドキュメンタリー映画の大御所が住んでいて、小川さんたちを支援する山形市民もいたので、小川さんや支援する人たちが山形で映画祭をやろう、ドキュメンタリーがいいんじゃないかっていうことになった。ちなみに新潟市は100周年でアジア卓球選手権っていうのやりました。
山ドキュの第1回は、東京の映画関係者から誘われたけど行けなくて、風の便りで素晴らしかったと聴こえてきました。 で、同じころ東京国際映画祭っていうのが始まっていて、それはもうどうしようもない映画祭だというような評判で、山形は素晴らしいけども東京はダメだというような評価でしたね。
あと、コンペテションは2000年からビデオをオッケーにしたんですよ。それまでは35か16mmのフィルムでなければならなかったんだけれどもビデオ撮影もいいですよってして、それでかなり質が変わった感じで本数も増えた。今、予選応募数が1000本以上あってその中からコンペティションで15作品選ばれるという感じで。あともう1つは、主体が山形市役所からNPO法人に変わった。
これはすっごく大事なんだけど、山形市がこの映画祭に初回からずっと1億5000万円を、同じ額を今も出してる、 NPOに変わってもね。実際、それ以外の売り上げとかなんかで約2億円で回している映画祭です。

久志田 スタッフは専従スタッフもいるんでしょ?

五十嵐
専従も居るし、事務所も持ってるし、東京事務所もある。ただすごく経済的には厳しい。市役所がやっていれば家賃もいらないし職員も市の職員がやるから金銭的には楽。それをNPOがやるのは大変。 でも、独立性を担保して、職員の専門性を高めることも必要だった。亡くなった人もいらっしゃるんだけれども、ずっと続いてるスタッフもいて、よくここまでやってきてるなと敬意を表したいと思う映画祭ですね。

荒木
私、毎年開催されてると思ったら2年に1回っていうのを今回知って不思議だなと思ってたんです。でも行ってみて実感した運営の凄さと、今お金の話を聞いて丁度良いペースだなって思いました。

井上
本チャンは2年に1回だけども、プリントの貸し出しをやってたりとか上映会をやったり運営はずっとやってる。

五十嵐
毎月のように。

井上
だから、そういった地ならしみたいなことやってるんですよね。でも初期の初期は2年に1回の映画祭をやるための実行委員会って感じだったんですか?

五十嵐
そうそう。2年に1回はやろうよねっていうことで始まった。ただ、実際に本当に続けられるかどうかってのはまだ分からないじゃないですか。 人が来ないとか評価が低いとかトラブルが起きたとなると。で、第3回か第4回に民族問題でぶつかりがあってちょっと大きい問題が1回起きたんですね。あとお金をずっと出し続けて何の意味があるのかというのは常に問われていた。でも、だから、だからいいんですよ。映画祭って何でやるんだよとかさ、何でドキュメンタリーなんだよとか、何で国際なんだよって常にそう問われるわけじゃない。それが大事なんですよ。それに対して正解はないんですよ。うん。でもその時その時こういう風にすればもっと良くなるよねっていう風にやっていくっていう。

井上
とは言っても、1億5000万円っていうものが無ければ出来ないじゃないですか。 それは現実問題でしょ。問われてそのレスポンスがあるから続けてるわけであって、そのレスポンスが良いものであったからこそ評価もされてるし、悪く言う人もいるだろうけど続けられてるってことですよね。
五十嵐うん。だから当然ドキュメンタリーだから中には勿論社会的な問題を捉えていてそれが軋轢を生んでいくわけじゃないですか。それはシネ・ウインドでやったって同じような問題が起きてもおかしくない。それを集めて山形でやるわけじゃん。それは俺たちみたいな行政の人間から見れば怖くて出来ない。例えば天皇制批判の映画があったらどうすんだってさ。やるのか?っていうね。

久志田
あいちトリエンナーレじゃないけど、時によっては変なこと言ってくるような者もいるかもしれない。

五十嵐
うん。でも、それでも結局さ対話を積み重ねてやっていくしかないんだよね。

井上
うん。当然もしやったとしても「なぜならばこういうルールでやるんだ」っていうのがあるでしょうからね。その積み上げに敬意を表しますよね。

五十嵐
本当にそう思う。30数年かかって積み上げたものだから、簡単には崩れないなっていう感じがしていて、それにはやっぱ何よりも山形市民が支持している。そう、たまたま偶然ね、第1回からずっと観に来てるっていう人に会ったのよ。70歳くらいの女性で山ドキュにずっと来ててボランティアもやった事ないし本当に観に来ているだけなの。でもそういう人が大事なんだよね。そういう市民がたくさん居るって事が凄く大事。ただの市民でただの観客が居るっていうことが大事。

荒木
私は半日の来場者数100人くらいのインディーズ映画祭をやってたんですけど、そんな小さな映画祭でもお客さん呼べるようにしようってやると凄く大変だったんですよね。山ドキュは運営人数どのぐらいでやってたんだろうなと。

五十嵐
スタッフは少数だと思うよ。理事長の伊藤さんの奥さんと一緒に飯食ったけど、もうあの頃旦那が全然市役所から帰ってこなかったって(笑)。 それは、俺が水と土の芸術祭やった時もそうなんだけどさ(笑)。もう死ぬんじゃねえかみたいな感じでやらざるを得ないんだよ。

久志田 五十嵐さん大変そうだったもんなぁ。

荒木 こんな映画祭を毎回やり切って続けてるの凄いな。

井上
これから作るっていう時の初期の山ドキュスタッフが積み上げてきたって感じですか?

五十嵐
宮沢啓さんとか高橋卓也さん、近年亡くなったお二人をはじめ、映画祭の方々の努力の積み重ねです。 始まった頃はやっぱ混沌としていて、色々試行錯誤してやってきたと。

山形市民会館会館大ホールの高橋卓也さん追悼掲示

井上
規模としては違うかもしんないけども、回を重ねるにつれやることが増えてったって感じなんですか?

五十嵐 あ、そうそうそうそう。

井上
最初から定期上映会とかなかったんですもんね。
事務局は市役所の中にあったんでしょ?

五十嵐
はい、市役所の中にあって、市の職員プラス実行委員会形式だったから。 高橋さんはフォーラム山形(シネ・ウインドが手本にした映画館)からNPOになるときに事務局長になったかと思う。 で、宮澤さんは、その前に事務局長を務めていて、よく新潟に来ていました。シネ・ウインドやにいがた映画塾もお世話になりました。ずっと、プレスで招待してくれてた。

井上 我々も可愛がってもらいました。

五十嵐
そう非常に色々お世話になってたけれど、この2人が立て続けに亡くなってしまって。 で、今理事長になった伊藤さんともその辺ちょっと話したんだけれども、やっぱ昔のメンバーってのはかなりもう変わってきてるね。特にNPOになってから。

荒木
山形でそういう人たちがちゃんとタイミングで集まって、 そのメンバーが変わりながらも継続していってる力は、本当にあの映画祭を体験すると尊敬しかないなって。

五十嵐
やっぱ中心になっていた伊藤光一郎さん、宮澤さん、高橋さんみたいな中心メンバーが居るわけですよ。それに山之内悦子さんや藤岡朝子さんみたいな通訳も出来る素晴らしい人たちも居る。お二人は、普段はカナダや東京に居るわけだけれども。そういう人が居るから出来る。やっぱ何人かの中心のメンバーがどうしてもいる。30年やってきてるわけじゃない。 多分変わるとダメなんだよ。どうしてもその人間が変わっちゃうと。うん、やっぱダメ。続かない。

伊藤光一郎理事長

左写真 中央:山之内悦子さん  右写真 左:藤岡朝子さん

井上
高橋さん、宮澤さんが居なくなっても続いてるじゃないですか。それは残ってるものがあるからでしょうね。

五十嵐
そうだね。山形市は、映画、映像でユネスコの創造都市に認定もされた。

久志田
プラス観巧者の人が多いんじゃないですか。観る目がある人たちが。

井上
スタッフで言うとボランティアスタッフが250人ぐらい居るんだってね。それは山形の方が多いのかと思ったら割と京都芸術大学の先生と一緒に来たとか、そういう人も結構居たみたい。

五十嵐
それは山形芸工大が出来たりした事も大きいし、 あと各地の大学に映画学科がこの2、30年で出来たじゃないですか。それで日本映画大学とか映画専門学校とかの若い人たちが来てる。

井上
そうですね。体験しに来てますよね。 新潟もそうなれば良いけどね。いや、京都芸術大学の子は来たいっ言ってたけどね。僕を見ておべんちゃらかもしんないけどボランティアやりたいって。

荒木 新潟に来てくれるといいですよね。

井上
だからまあ、新潟にこだわるわけじゃないんだけど、もっと意外に関心を持つ人は居るから恐れずに行ってもいいのかなと思った。 でも当然、それを受け入れる側としては、それなりのポテンショナルを持ったものをやんなきゃいけないんだけどね。

山ドキュで知った山形の街

井上
山形が好きになるじゃないですか。 嫌いになる人いませんよね。あんまりね。

五十嵐 そうそう。

井上
色んな映画観てるだけで愛着湧きますよね。ちょっとしたところからしか地元としては繋がらない。でも、歩いてるうちにどこに何があるかってのは分かってくるしね。 いい造りをしてますよね。

久志田
会場を回遊する感じでぐるぐる回ってだんだん街が分かってくる。

井上
山形市のコンパクトさ。コンパクトですよね。歩きやすいというか各会場の動線が楽というか。

荒木
そう。私、土地勘が全然なくて地図を読むのも苦手だからちょっと不安だったんですけど、 観たい作品と作品の間に休憩して歩くと丁度次の作品に列べて良かった。

井上
あと、山ドキュに行くとなんとなく山形の物産もわかるっていうかな、サクランボがあるんだ、紅花があるんだみたいな。こんなものが売ってるんだみたいな。 僕は何人かしか実行委員の人とは話をしなかったけど、その方が今度ぜひサクランボの季節に時に来てください!みたいな事を言いまして、そうですねとか言っちゃったんだけど(笑)
どうですかね馴染みの店とか出来ました?

荒木
私は1泊2日だったんで出来なかったですね。好きな場所は色々ありましたね。

久志田
俺は2泊3日だったけど出来た。冷やしラーメンの栄屋本店。3回行った。


荒木 美味しかったよね!

山本
私は馴染みのお店が出来ましたね。Q1(キューイチ)っていう元々小学校だった施設に本屋さんとかお店が入ってて。そこの本屋さんが凄く良くて。本当に選書は拘っているそうで、そこはもう時間があったら行ってました。あと香澄堂書店っていう文学作品が凄く多い古本屋さんがあって、そこでもだいぶお買い物しちゃいました(笑)。あと七日町に珈琲専科煉瓦屋っていう喫茶店があってそこも結構通いました。

山崎 私も行きました。独特な雰囲気で良いですよね。

井上 良い楽しみをみつけたんですね。

山本
そうですね馴染みの店っていうのが結構できて、なんで私がそこに馴染んだのかちょっとよく分からないんですけど。Q1にしても霞道書店にしても煉瓦屋にしても、 結構目を引く外観の建物がちょっと歩いたら各地にあるっていうその街づくりは山形の魅力だなって凄く思いました。

左 Q1(キューイチ)外観 右 珈琲専科煉瓦屋外観

久志田 山本さん何泊したの?

山本 結局8泊です。

全員 笑

荒木 羨ましいー!

久志田 それなのよ!そこなのよ!1泊2日や2泊3日じゃ足りない!

井上
滞在するもんなんだよね映画祭ってね。 山ドキュは平均何泊ぐらいするものなんですかね?

五十嵐
3泊ぐらいじゃないかなぁ。僕はね、実は今回身内に不幸があったり、町内会の用事があったり3往復したのよ。期間中ホテルずっと予約取ってたんだけど行けなくて。 で、ホテルは一応いつもオフィシャルホテルの山形グランドホテルに泊まっていて、あそこに泊まってると映画祭関係者も泊まってるから朝とか「あ、監督いるな」みたいな感じがあるんで、あそこにしてるんだけれども。うん、やっぱり3泊か4泊ぐらいじゃないのかな。特に前半の3連休ね。昔は3連休じゃなかったのね。体育の日がハッピーマンデーで3連休になった(2000年)。3連休終わったら人が段々減っていくしね。

井上
そうですね。うん、どうしても土日に絡む人も多い。いずれにしても、街に魅力がないと難しいですよね。

五十嵐
だってさロンドンに造りが似てるんだよね。例えば、古い建物(県庁)があって、正面にメインストリートがあって、そこにそれなりの公共施設とか病院とか銀行、ホテル、学校とかあったじゃん。さっき出たQ1とか。

山形のメインストリート

荒木
私Q1の方とちょっとお話したんですよ。私的にあの施設めちゃくちゃ気に入って。外にテラスがあって犬の散歩をしてる人たちが話して犬同士が遊んでたり、中に入ってみるとオシャレなハンバーガーショップとかコーヒー屋さん、本屋さんがあったり、外まで美味しい匂いがするんですよね。
山形の企業も入っててレンタルスペースもある。 そういうところに行ったのが今回初めてで、リノベーションの仕方も残すところを残して現代をちゃんと取り入れてる。建物自体は90年以上前の建物らしいんですけど、昔の西洋建築を取り入れた時のコンクリート造の建物で、ここにこんなもんつけたら邪魔じゃないかっていうような昔ながらの装飾が残ってる。そういうのが1個1個いいなと思って。小学校の再活用って結構あるけど、あんな感じだと気楽に行って何かに触れられて。暇だからフラッと行きたい場所としてもってこい。

コーヒーショップ

手摺の装飾

1Fと2Fの廊下


(山形クリエイティブシティーセンターQ1)


井上 市が絡んでるんですかね?そういうのって。

荒木
山形市と民間企業でやっているって言ってましたね。
昔を知ってる五十嵐さんはどう感じますか?

五十嵐
昔は映画館がかなり沢山あの街中にあったのね。アズの近くに 3つか4つぐらいあって、それがどんどんなくなってフォーラムしか残ってないんだけれどもね。で、ちなみにフォーラムというのは新潟のシネ・ウインドが 真似した、市民主体でつくった映画館です。当時、フォーラムに2つスクリーンが有ったと思うんだけれども、シネ・ウインドもスクリーン2つ持ちたいよねっていう話があった。残念ながら1つになったんだけど。 で、フォーラムはその後スクリーンをどんどん増やしてシネコンになって、今は仙台とか福島とか盛岡、八戸など、 東北一円にあのフォーラムができて。山形市民にとってみると、山形市の企業が東北に広がっていったっていうのは誇りなんですよ。
街も変わってきてるよね。
メインから一本外れた所は今回も工事中だったじゃないですか。いつも工事していて昔泊まった旅館とか映画館とかね食堂なんかがだいぶ無くなっていて。で、メインストリートの方はまだ昔と同じような感じ。あの、アズ七日町の辺り。十文字屋っていう書店があったりさ、 蕎麦屋さんがあったりさ。あれは同じなんですけど。新しいものもあるし古いものもある。でも、どんどん新しくなってきていて、若干寂しいかなっていう感じはするけどね。
 
アズ七日町と蕎麦屋さかい

久志田
ただ、新潟に比べて、個人商店が多いような気がします。

五十嵐 あ、そうだね。うん。

久志田
いい街。個人商店が多い街は。コンビニが多すぎない。個人商店がちゃんとある。

荒木 なんか愛着持てるところがいっぱいあると思う。

山本 個人の力で町を作ってる感じがありますよね。

井上 それは市の力?

荒木
分からない(笑)。
でも、Q1とか山ドキュとか山形の色々なものを考えるとその取り組み方、公と民の力の合わせ方が上手いのかなと思ったり。
私20代スケボーしてた時、新潟はスケートパークを無くす方向だったところに寒河江に東北最大級のスケートパークができたんですよね。映画に飛び込んできたら山形市にこんな映画祭があって。ニッチな所を大きくする決断力、実行力が凄いなって思いましたね。

久志田
その話聞いてて思い出したけども、2011年初めて言った時に衝撃を受けたもん。こんなすごい映画祭なんだって、ちょっと想像してたのとレベルが違うっていう。その凄さがあった。ま、どこも保守性とか革新性ってあるんじゃないないかと思うんだけど、そのバランスがいいんじゃないのかね。山形独特の。

山ドキュと新潟、ドキュメンタリー

五十嵐
新潟と山ドキュとの関係というのは言っておいた方がいいかもしれない。
『阿賀に生きる』が、1989年ぐらいから作っていて92年に完成して、第3回の山ドキュで 優秀賞第3位だったんですよ。
その後、佐藤広一君が『紅花の守人 いのちを染める』とか『世界一と言われた映画館』とか撮って映画監督になっているけれども、彼は新潟で『白痴』を作っていた時(1998年)、にいがた映画塾の第3期生でやってきて、彼が山形に戻ってずっと山ドキュと歩みを一緒に映画を作っている。立派な映画監督になって素晴らしいと思う。
それとにいがた映画塾の井上朗子さんの『ダイアローグ1999』と木原大吾君の『崇とその仲間たち』も日本パノラマ部門で2000年に上映されている。だから非常に新潟と関係があるというか馴染みの深い映画祭でもある。


( 佐藤広一監督『紅花の守人 いのちを染める』
『世界一と言われた映画館』)
(手塚眞監督『白痴』)
 (井上朗子監督『ダイアローグ1999』)
(木原大吾監督『崇とその仲間たち』)

荒木
なんだか、そんな身近な人が山ドキュに関係してるって今更知りました(笑)。
あそこで上映されたら嬉しいでしょうね。

五十嵐
その時に僕も居たんだけど、受賞作発表で『阿賀に生きる』って映画名を聞いた時ジーンと来るものがあったよね。その前も行っててお金無いから橋の下に泊まってね。ラフカットみたいな感じでラッシュ上映かなんかやってたんだよね。だから、遂に来たか!っていう感じがあの時したよね。うん。あれは本当に今でもよく覚えてる。

荒木
私スタッフやってたら泣いちゃうかもしれない。
『阿賀に生きる』まだ観たことないけれど(笑)。

久志田 あれは笑える。

五十嵐
当時『阿賀に生きる』を観て皆んなが思ったのは、ドキュメンタリーなのに何で面白いんだ。みたいな。 30年前だよ。だから、それまでドキュメンタリーってのは笑えない、難しい、つまらないようなものがドキュメンタリーだったわけ。それがやっぱり『阿賀に生きる』とこの映画祭によってドキュメンタリーって面白いんだってなったよね。だって昔はウインドだってこんなにドキュメントかかってなかったもんね。今は面白いからさ。単純に面白いわけじゃなくて面白いって言い方もあれなんだけど。

佐藤真監督『阿賀に生きる』公式HP


久志田 インタレスティングの方の。

五十嵐
別に一般映画でそんなに区別しないわけじゃん。それはこの30年でやっぱ変わったことだよね。

久志田 色んな作り手が出てきて。

井上
うん。まあでも一般的にはやっぱドキュメンタリーのイメージはまず凄く変わってはいないけども、 山形みたいなところに行くとちょっと揺さぶられますし、山形の方は受け入れて来たんだと思いますよね。

荒木
正直、ドキュメンタリー映画だけでここまで楽しめると思ってなかったから。難しい心境で帰って来ることになるかもって心配も少しあったくらいに(笑)。でも凄く楽しかった。ドキュメンタリーちょっとやってみたいな。

敢えて山ドキュの不便さを挙げるなら?

井上 山本さんは「売店でカード使えないのがね」って言ってたね。

山本
そうですね。売店は現金だけだったんですよ。ちょっとそれが不便だなとは思ったんですけど。

井上 電子マネーもか。

山本 そうですそうです。ほんとに現金だけで。

久志田 使いすぎないからいいよ。

井上 ただ、海外の方は…

久志田 あー海外の方はそうだね。

山本
そうなんですよね。だから国際映画祭なのにここは日本式なんだとか思って。運営の方の事情もあるんでしょうけどね。

久志田 うん。あそこにクレジット端末用意するの大変だ。

井上
まあ、出来ること出来ないことがあるからね。でも要望として考えとくのは良いよね。山崎さん何かありましたかね。

山崎 プログラムをインターネット上で見やすくて欲しかったです。

久志田 本当あれ見にくかったな。

山崎
スケジュール表を見て別のページに行って作品紹介を見るっていうのがちょっと大変だった。

山本
一応日毎のスケジュールも出てはいたけど割と直前になってからリンクができてて、もっと前からそれがあったらいいのにな。

荒木
ドキュメンタリーを紹介するって難しいけどチラシの作品紹介文が分かりづらいのがあって。でもだから決めてかからない方が楽しめたとこもあったし、向こうで知り合った人とバッタリ会った時に作品の情報交換をしたのも楽しかった。

山ドキュを経て新潟市の映画祭を考える

荒木
今回は井上さんが「新潟国際アニメーション映画祭の参考にしたい」という気持ちもあって開いた座談会なんですけど、これまでを踏まえて新潟で考えるとどうでしょう?

山崎
そうですね。山形市は新潟市よりちょっと街の規模が小さい。回りやすいっていうのはありましたね。新潟市だと川で分断されているっていうのが地形の大きな違いかなと思うので、例えば新潟アニメのようなイベントをやる時は逆にその地形を活かしてやすらぎ堤でイベントをして移動時間を楽しめるようにしたら山形のように出来るのかなと思いましたけど。

井上 古町から万代って歩いて20分ぐらい?

五十嵐 20分。1キロ半ぐらいかな。

井上 歩くのにはいいんですけどね。

山崎 3月の半ばだと、まだ 天候が悪くて…

久志田 先回も大雨だったからなぁ。

山本
私は新潟の街が分散してる感じも結構好きなんですけど、まー確かに全国各地、世界各国からお客さんがいらっしゃって、交通手段も限られてる中で 回るっていうのは、やっぱり山形のようなコンパクトさが凄く良いよなとは思ったんです。けど街づくりはそんな一朝一夕で出来る訳ではないよなっていうのは(笑)。

荒木
でもやすらぎ堤を使うっていうのは良いな。そういえば山ドキュって芋煮会やってたじゃないですか。あんな感じでフラッと行けて、会場と会場の間で郷土料理食べれるみたいなイベントがあったら良いなぁ。

五十嵐 昔、芋煮を街中でやってたんだよね。配ってたの。

久志田 新潟で、ふるまいやるとしたら何だろうねぇ。鮭の粕汁とかか?

荒木 のっぺ、日本酒、ラーメン、タレカツ丼(笑)

五十嵐 のっぺは冷たいからな。温かくしても良いけど。

井上
秋の山形だから芋煮会で良いんだよね。
何だろうね。3月の新潟で…苺パフェかな?苺食べ放題(笑)。でも、新潟の苺も知られてないから良いかもしんないね。越後姫とかね。当然いろんな方の協力が必要なんだろうけど、 地元の物を食べてほしいなと思う。

荒木
気候が良ければ、やすらぎ堤でアニソンライブやったらお祭り感出て良いかもしれない。萬代橋でコスプレイヤーパレードとか。
先回の新潟アニメの時、街中でお祭りをあんまり感じなかったんですよね。山ドキュは山形市に着くと今回の真っ黄色な山ドキュのポスターやチラシが街のあらゆるところにあって、デパートの玄関前とかに床から天井までドーンと看板?が置いてあったり。気分が高揚してくるんですよね。新潟も人の目線の高さにそういうのあったら良いな。

高揚させる山ドキュポスターの掲載風景

井上
あれは市から頼むんですかねポスター掲示とかって。

五十嵐
NPOじゃないかな。もう30年数年もやってるからね。お金かかるかどうか。新潟市は掲出にお金かかることが多いのよ。

井上
多分30年かけてドキュメンタリーが面白いっていうのを周知してきたんだろうね。

荒木
難しいかぁ。
あと、インターネットでチケットがすごく買いやすかったです。

久志田 あーインターネットで買えばよかった…

井上 セブン-イレブンで買えるやつ?交換できるやつだったの?

荒木 いや、インターネットで注文すると直接自宅に届いて。

井上 僕インターネットで注文して地元のセブンイレブンで換えたんですけど。

久志田 チケットぴあ発券のやつ。

五十嵐
チケットが買い易いってのは良いよね。街中でみんな当日券売ってたからね。駅でも売ってたし、会場でも売ってたしね。

荒木
あの大きな通りにある売り場でパンフレット買った時、係の人が凄く愛おしい対応してくれて山形あったかいなぁって思いました(嬉)。
映画祭についてはどうでしょう?私は映画祭って映画を観るだけじゃなくて映画が好きな人たちの交流の場所っていうところも大きいと思うんです。

井上
ああいう交流会があると良いなといつも思うしシネ・ウインドでも思うけど、 これはそれ専用のスタッフがいないと無理かなと思って(笑)。

久志田 味の関所、1日ぐらい貸し切りにするとか。

井上 頼めばいいと思うんだけど、それも…

五十嵐 それはできると思うけどさ。

久志田 それも人が来るかどうかだなぁ。

荒木
でも、香味庵みたいにお酒1本とお菓子1袋で500円スタイルで、それでみんなが楽しめるっていうのは凄い良い。真下のコンビニで買ったものは持ち込み可とか。凄いシステム。

井上
そういったところがあるといいなと本当に思いますよね。でも、それは続けるのは大変だなって同時に思いますよ。

五十嵐
まあ、ああいうのもね、他の飲み屋さんにお客さんが来なくなるからどうなの?っていう意見も無くはなかったんだけれども。いつの間にかあれが定着していって、結構他のお店に流れていくから結果良かったかもしれない。

井上 でも、多分他の映画祭がやってないのは難しいからだと思うんだよね。

五十嵐 難しいね。うん。

井上
あればいいとは僕も思う。でも続けられないと思うあんなこと。
東京国際映画祭でもやらないじゃん。釜山国際映画祭でも多分無いと思うんだよね、こういうのって。

五十嵐
あ、釜山国際映画祭がちょうど山ドキュに重なってるんだよね。だから、ヨーロッパとか遠いところから来る人は、釜山を観て山形っていうルートもあったり。あと逆に、釜山に行って山形には来ないっていうケースもある。

井上
そうですね。国際映画祭ってのはそういうもんなんですねっていうことを知りましたね。ドメスティックじゃなくて、もうちょっと広い所から人が来て、滞在して、映画を楽しんでいくっていう映画祭、映画まつりなんだよね。
そういえば『ボウリング・フォー・コロンバイン』って映画分かります? マイケル・ムーアが撮ったアメリカの銃社会の矛盾について話すような映画があった。ちょっと話題になったんだけど、その後に山形で「ボーリングフォー山形」って、ボーリング大会やったんだよね。

荒木 ハハハハハハ!

井上
面白いよね。そういうのも気が利いてるよね。すぐには出来ないけど大事なことかなと思う。

荒木
山ドキュって気取ってるところが無いですよね。真面目に取り組んでるものが伝わってくるのと、公式なのか非公式なのか分からないイベントがあって面白い。

井上
だって芋煮会とかやらないもんね。非公式イベントとか言って『阿賀に生きる』の人たちがキャンプしたところで芋煮会なんてさ。 そのチラシを配ってんだもん(笑)。

左『阿賀に生きる』芋煮会 右 二つ目に昇格した講談師田辺一記さん(『阿賀に生きるファン』)と井上 

久志田 楽しいんだよ。香味庵でも二次会の手作りチラシ配ってる人いたな。

井上 うん。そういったところがなかなか無いよね。

荒木
なんかこう、映画祭をダシに其々のジャンルの人が其々の場所で自分たちの好きなものを楽しんでるみたいな、そういうとこまで発展できたら、本当に凄い良いなって。

井上
そうですね。劇場の者としても色々学ばされますね。自分のこと語っちゃうと、そういうことしたいと思ってるけどね。観に来た人と監督が香味庵みたいにじゃないけど、味の関所(シネ・ウインド御用達の居酒屋)で交流できるとか。なかなか難しいけどね。お店やってるとこに3人のところが7人になっちゃったとか言いにくいところもある。そういうのなんかクリアしながら映画の+αの楽しみを提供できる場所として、掻き回していきたいなと思うんだけどね。映画祭であっても劇場であってもね、きっかけが映画であって、そっから広がるもの。もうちょっとシリアス見ていきたいなと思うよね。冷静に。

五十嵐
あと実は山ドキュも批判がないわけじゃなくて、 やっぱり1億5000万っていうお金を人口25万ぐらいのね、新潟市の3分の1くらいの自治体で出すって、やっぱりかなり大きいわけで、それに対する批判っていうのがまーあって。特にやっぱり山形市民が観に来てないじゃないかっていうのはずっとあったのね。で、それが10回目ぐらいを境にして山形市民がかなり観に来るようになっていて、 今、半分ぐらいか半分以上は確か山形市民なんです。そうそう、それは良かった。2万人ぐらいだと思うけど。延べでね。確か。

久志田
良かったねぇ。何年だったかな?市長選で、ほら、自民党系が勝つか野党系が勝つかで、どうなるかって心配になった時は、なんかそういう…

五十嵐
そうそう。市長は3回変わっていて、いわゆる野党系の人が2代続いてその後与党系の人になったんだけれども、そこはどうなるのかなっていう心配はあったけれど、基本的にはそのまま継続、この映画祭についてはいいんじゃないかっていう方向です。ただやっぱり、まだまだそう全部が全部そうじゃないから、NPOになったっていうのも、そういう部分のこともあるらしい。 これはハッキリ聞いてないしハッキリ言わないと思うんだけれども、ま、当然、 NPOになれば、その分の財政負担、ま、人的な負担とかさ、うん、そういうのは重くなるわけなんで。

久志田 ある意味、Noismの活動継続問題と通じる。

五十嵐
そうね、若干。どうしても行政がやるっていうのは皆のお金を使うってことだから、皆が色んな意見を言えるわけです。だから意味があるわけ。それが 例えば新潟アニメみたいに、民間がお金を出してやってると「それって趣味だよね」で終わっちゃうんですよ。それって映画好きな、アニメ好きな人達だけがやっていて、趣味ですよねって。あるいは興行、ビジネス、金儲け。ま、あれは市が会場を無償提供しているから必ずしも新潟市が負担してないってわけじゃないんだけれども。
やっぱり公的なお金を投じることによって色んな意見が入ってきて、そこでぶつかり合ってより良いものが生まれていく。そうじゃないと映画が好きな人達が集まってるだけの映画祭じゃないかと。それだけになっちゃうとその広がりはないわけよ。業界の人達だけでしょみたいな。それを、文化にしないと意味がないわけ。そのためには、市民や法人が参加しないと。 この前の新潟アニメはそうだったけどね。あれはもう僕が言ったけど、アニメ試写会で映画祭じゃないって。関係者しか来ない。あれでは全くダメだと俺は思うんだけどね。

荒木
コンペで言うと映画を作ってる側は観てもらいたいですよね。自分の知らない誰かが自分の作品を観てるその会場の雰囲気はとっても興味がある。自分じゃ地元以外で上映出来る機会って少なくて、国際コンペなら外国で自分の映画を上映できるチャンスだと思うんですよ。
観てもらって賞もらいたいって事だったらオンラインで充分ですもん。

五十嵐
やっぱり海外から来る人たちが居る。監督さんとかスタッフが居るんでさ、わざわざ日本の新潟まで来てくれるんだからさ。とにかくやっぱもっと人を入れたい。あんなんじゃ本当に悲しいっていうか、寂しいっていうかさ、申し訳ないっていうかさ。

荒木
うん。出品してる監督も、今完成作品があるって事は次作に取り掛かってて時間の無い状況の中で来てる場合が殆どだと思うし。
そんなこと考えて映画祭やると、たった半日の映画祭でもイベント計画から作品選定、SNSも含めた広報その他色々やって並行して撮影もやってってすると凄い大変なんですよね。寝る暇無いくらい。
自分の映画は作って力尽きちゃって上映そんなにせずに終わっちゃった。

五十嵐
『阿賀に生きる』の場合は制作委員会があって、その後に上映委員会が出来たわけよ。2つあるわけ。ふつうは映画づくりって制作委員会で終わるわけ。で、自主上映とか映画館とか映画祭とかに持って行って上映する。でも上映のことを考えて上映委員会を作ったのね。それはとっても大事で、そういう風にしてかないとただ単に作っただけになる。今は映画って簡単に作れるから観てくれない。観せる努力ってやっぱ凄い必要でー

井上 そう佐藤真さんも作って半分、観せて半分って。

五十嵐 そうそう。

井上 まさにそれ。だから上映実行委員会なんだね。

五十嵐
『阿賀に生きる』は小川弘幸さんが上映の実行委員長だった。観せるとやっぱ映画が命を生むみたいな感じになるじゃん。俺も自分の映画をたまに人に観せるとそう思う。

荒木 私もそう思います。

井上
来年3月に、2回目の新潟アニメーション映画祭があります。 僕も協力したいと思ってますし関わると思うので、今回の山ドキュの経験を活かして、また皆さんのお知恵を拝借しながらやりたいと思いますね。

五十嵐
でもそれ新潟アニメはツネさんが色々考えるっていうことも大事だけれども、 主催者がどう思ってるかってのが、今一つ伝わってこないからさ。うん、そこが大事だと思うよね。 だから、主催者側の方がこういう映画祭でこういう風に市民と協力したいって言うか、あるいは市民は関係ありませんと言うか、なんかその辺りがよく分からないですね。

井上
そうですね。僕のスタンスとしては、新潟でやる映画祭だったら新潟の映画館の者として力になりたいってことですね。 そこがまず有りますね。僕は去年よりちょっと関わりも変わってくるだろうし。

五十嵐
そこはすごい大事で、どういう風に堀越謙三さんが考えてるかっていうのが分からない。こっちに伝わってこないからよく分からない。
ただ、やっぱ人を入れたいよね。

井上 そうですね。

荒木
その為に五十嵐さん新潟アニメのバッグをずっと山形で掛けていたんですか?

五十嵐
誰か聞いてくれるんじゃねえかと思ってさ。押井守のバックなのに、誰も聞いてこないんだよね。ただ最後にアズで写真撮ってあげたおばちゃんがね声掛けてくれたんだけど何で?と思ったら「いつも貴方これ掛けてましたよね。だからいつもいる人だと分かりました」って。いつもいるから映画関係者かと思ったみたい。

荒木 そう、会場に五十嵐さんっぽい人が何人か居て声掛けようと思うんだけどー

久志田 けど、様子見ると違うかなっていう。

荒木 そう(笑)。で、新潟アニメのトートじゃない、あれは違う!って(笑)。

五十嵐 あー。だからなんか目印は大事かもね。Tシャツとかバッグとかね。

久志田 間違えて声掛けてしまったかなって思った時あったもんな。

井上 ではこんなところで終わりにしましょう。お疲れ様でした。

荒木 ありがとうございました。