荒木 夏実
ソウル 尹東柱、青瓦台、教保文庫、大ヒット映画『破墓』鑑賞
朝7時半に起き出発。朝が苦手な私がアラーム無しでこんな時間に起きたのは奇跡。コーヒーを飲みに近所のカフェへ行くことにした。ボーっとチーズケーキを食べながら「いきなり方言のある地方はキツイな。今日はソウルにしよう。」とスマートフォンに今まで書き溜めていた行きたい場所リストから『尹東柱文学館』へ行くことにした。『空と風と星の詩人 尹東柱の生涯』という映画で出会った詩人の施設だ。
尹東柱とは日本統治時代に治安維持法により逮捕され福岡刑務所で獄中死した詩人。インターネットで検索すると「国民的詩人」「抵抗詩人」「叙情詩人」と出てくる。韓国では国語の教科書に載っているし、受験戦争を経験した人であれば1編や2編暗記していてるくらいだ。「抵抗詩人」と見ると日本人としては少し怖い。けれど、尹東柱の生涯を知ってから詩集を読むと「カテゴライズすることは浅はかだ。」と感じる日本人が読んでも浸れる凄い詩人だ。
カフェを出てバスに乗って10分。ここで私は大失態をする。バスに乗ったはいいもののT-moneyカードにお金をチャージしていなかったのだ。前回の旅で残っていたウォン紙幣を握りしめ運転手に尋ねたら「現金は使えません。」と。パニックだ。暫く固まっていたら「料金はいいですから降りて大丈夫ですよ。」と言ってもらえ謝罪と感謝をしてバスを降りた。
尹東柱文学館はバス停から歩いて直ぐの所にあり、ザ韓国のシンプルな建物。入館料は無料だ。とても小さな施設だけれど、新聞のスクラップや写真、井戸を利用した映像展示、なんと言っても尹東柱直筆の原稿を見ることができる。最初に『新しい道』という詩の原稿を見た。尹東柱の書いた文字と共に原稿用紙の左下に印字された「コクヨ」を見てボロボロと涙が出た。私が小学校で使っていた作文用紙にあった、全く同じ形をした「コクヨ」の文字だ。自分とはとても遠くフワフワしていた「大日本帝国」が自分の背景にあること、尹東柱と私は悲しい繋がりであることを実感してショックを受けた。少しの間その場を動くことが出来なかった。
気持ちを切り替えたいと思い係員に声を掛けた。「どこからいらっしゃったんですか?」と聞かれ「日本です。」と答えた。とても朗らかな笑顔で頷いてくれ「写真撮りましょうか?」と写真を撮ってくれた。50代後半に見える女性係員のあの柔らかな表情は私の心を優しく解してくれた。
尹東柱文学館を出て、隣りにある「尹東柱の丘」という桜が咲く小さい丘を散歩した。山とソウルの街並みを見下ろせる眺めの良い丘だ。幼稚園児が先生に連れられ散歩をしていたり、カフェがあったり、人も少なく居心地の良い場所だった。
次は何処に行こうかと文学館で貰ったパンフレットを見た。そう遠くない尹東柱の下宿先に向かうことにした。T-moneyカードのチャージもしようとコンビニに寄った。レジでクレジットカードを出したら怪訝な顔をされ「現金のみです。」と言われた。一旦3万ウォンをチャージした。バスの運転手もコンビニの店員も怪訝な顔だったのが不思議に思った。今考えてみれば一人で来て韓国語を話してる人間がそんな常識も知らないのはおかしな話だ。バスに乗って少し歩き、下宿先に着いた。下宿先と言っても当時の建物がある訳ではなく看板があるだけだ。
さて、どうしようかと地図アプリを開いて青瓦台が近かったので行くことにした。お昼ご飯も食べたいので途中にある市場に寄り、ヤクパブ(韓国おこわ)を買って東家で食べた。韓国のおこわはクコの実やレーズン、栗、ピーナッツが入り全体的に甘いところにゴマ油が香る。一口食べて「なんじゃこりゃ?」二口食べても全部食べても「なんじゃこりゃ?」と不思議な味だがちょっとクセになる。居心地の良い東家でこのまま昼寝をしたくなったが、そんな訳にもいかないので市場から入った路地を散策して徒歩で青瓦台に向かった。
青瓦台に着くと受付でパスポートの確認があり手荷物検査を受ける。入場料は無料だ。ここに来たいと思った理由は、私が韓国語を始めたとき毎日インターネットで韓国の新聞を読んでいて(韓国語の仕組みが分かると初心者でも辞書無しで読める)青瓦台がよく出ていたからだ。当時は文在寅大統領で、韓国の進展の速さや金正恩委員長の初訪韓などとてもドキドキしたし青瓦台がまだ大統領府として機能していた。本館に入るとあの赤いカーペットの敷かれた広い階段。至るとこにシャンデリア。品のある豪華な内装。文在寅大統領が立っていたあの場所だ。歴代大統領、大統領夫人の写真が飾られている空間や接見室など色々な部屋がるが一部は改装中の為、見ることが出来なかった。(韓国の見学できる施設はよく改装しているイメージがある)本館をぐるりとした後、旧官邸に向かった。敷地は広大で傾斜が多く本館の他にも幾つか建物があり、緩やかな傾斜が多く徒歩で回ると良い散歩が出来る。整備の行き届いた樹々とゴミ一つ落ちていない遊歩道にはベンチがたくさん置かれていてキンパでも食べたくなる。旧官邸は木造平屋建て。中には入れないが外から中を覗くことが出来る。私はソン・ガンホ主演の『大統領の理髪師』を思い出し理容室を探した。有ったには有ったのだが映画とは随分と違う部屋だった。そして大回りをして迎賓館へ向かった。この建物の豪華さも凄い。
一通り周り青瓦台を後にした。次はどこへ行こうかと考えた。そうだ。韓国語の本が欲しい。そう思い教保文庫に行くことにした。日本で言うと紀伊國屋書店のような大きな書店だ。青瓦台から外交部(日本の外務省にあたる)の建物を通り光化門広場に出て、私の尊敬してやまない世宗大王像を暫く眺め、教保文庫光化門店へ。中に入ると早速、書籍検索のコーナーを見つけ尹東柱の詩集を探した。詩集はすぐに見つかり、他にも何かないかと辺りをグルッと見たら直ぐ近くに日本文学のコーナーがあった。太宰治、夏目漱石などが並んでいて、もしかしたら坂口安吾もあるかもしれないと探したのだが見当たらない。店員に尋ねてみたら在庫があると持ってきてもらえた。通路脇の一番目立つ平台にどんな本があるのかも気になり覗いてみると自己啓発本や注目の韓国書籍と一緒に村上春樹と東野圭吾が一角を占めていた。他にも日本の雑誌コーナーがあり、ひとつの島に色んな雑誌がぎっしりと並んでいる。本屋での日本のあり方が面白い。色んなコーナーを周ってみたが韓国は本が安い。参考書は下手をすると日本の半額。ハードカバーの小説も500円くらい安い印象だった。
普段テレワークで運動を一切していない私はこの時点で脚がかなり痛くなっていた。スマートフォンの歩数計を見ると20,000歩を超えていた。バスで一旦宿に帰ろう。大通りへ出てバスに乗り宿に向かったが、ボーっとしていたら降りそびれてしまい知らないバス停で降りた。Naver MAPで位置を確認すると映画『チェイサー』の撮影地の近くだった。歩いて行ってみよう。途中でパンソリの野外公演があり、久々にパンソリを鑑賞。最前で長髪のおじさんがノリノリで踊っている姿が微笑ましい。気がつくともう陽はだいぶ傾いていた。MAPで確認するとまだ20分近く歩かなければいけなかった。やめた。遠いじゃないか。広蔵市場に行って夕ご飯を食べよう。
バスに乗り広蔵市場に到着。市場はクレジットカードが使えないので財布の中身をちゃんと確認すると現金がほとんど無い。百円単位に当たるものが紙幣だから分かりにくい。確認して良かった。1日で無賃乗車と無銭飲食をしてしまうところだった。換金所に行き5万円をウォンに換えた。もう歩きたくないし頭も回らないので1番おかずの種類が多く並ぶ屋台でビビンバを食べた。韓国のビビンバは日本よりご飯が少なく具材が多い。テンヂャンクク(韓国版味噌汁)を一口飲むと日本の味噌より大豆の味が強く大粒の納豆に近い味。食べ終わって少し時間が経つと漲る力、変わらず痛い脚。映画を観たい。そして韓国の映画館のイカを食べてみたい! アプリでタクシーを呼びCGV大学路へ向かった。
CGV大学路の入り口前に到着し初めての自動決済に感動した。(韓国のタクシーはスマホのアプリで事前にルートと料金も分かるし、クレジットカードの情報を登録すると自動決済が出来る。)今回の旅では1,000万動員を突破した『破墓』を観たいと思っていた。タッチパネルでチケット(1,400ウォン)を購入。そして、ずっと気になっていたイカ焼きも購入。初めての韓国の映画館。ワクワクしながら上映を待っているうちにイカ焼きを平らげてしまった。あまり美味しくなかったので、もしかしたらロッテシネマのイカ焼きが美味しいのかもしれない。映画はというと主演が名優チェ・ミンシク、ユ・ヘジンのベテラン俳優とイ・ドヒョン、キム・ゴウンの若手俳優。演技も映画のつくりも素晴らしくジャンル映画としてとても面白いのだが、私が韓国映画で求めているものとは違った。韓国のジャンル映画は家族愛やその他のドラマも求めてしまうのだが、その割合がホラーに傾きすぎていた。日本人が観て良い印象の映画ではないし、日本でどう公開されるのか気になるところだ。
映画の後はタクシーで宿に直行し寝支度をした。今日も午前1時をとっくに過ぎている。明日は地方に行きたいな。水原に行こうか。そんな事を思いつつ、テレビでYouTubeを流しながら床に着いた。
この旅の関連情報
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尹東柱について
お勧めの詩集 空と風と星と詩-尹東柱全詩集 https://amzn.asia/d/hzusCLa
映画『空と風と星の詩人 尹東柱の生涯』予告編 https://youtu.be/coKoTPt4v6A?si=xiT2OL0E927zmPU7
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立教尹東柱学生交流会 https://youtu.be/Awbt5bwhiZo?si=2ZUaHvY8yFkoPJMP
井田泉「詩人・尹東柱ーその時代と生涯と詩ー」2月16日に獄死した詩人を偲んで(芸術と憲法を考える連続講座 vol.26 から第二部)https://youtu.be/J93mhgmr_i8?si=4slWqtYnmSD2MuA4
映画『破墓』韓国版予告編 https://youtu.be/fRkOWmfZjkY?si=s7NPLa-xaRVT_tJW