2/22㈯~4/4㈮ ※火曜休館 休映日あり

『映画を愛する君へ』
配給:アンプラグド
監督・脚本:アルノー・デプレシャン
製作:シャルル・ジリベール / オリビエ・ペール
共同脚本:ファニ・ブルディノ
撮影:ノエ・バック
美術:トマ・バクニ
編集:ロランス・ブリオー
音楽:グレゴワール・エッツェル
ナレーション:マチュー・アマルリック
『キノ・ライカ 小さな町の映画館』
配給:ユーロスペース
監督・脚本・撮影・編集:ヴェリコ・ヴィダク
製作・共同脚本・編集・音楽:エマニュエル・フェルチェ
製作:シルヴィー・ピアラ / ブノワ・ケノン
色彩:フィリップ・シェノー
1890年代、写真は時間と動きを得た
私は小学生の頃から金、土、日の洋画劇場のTV放送とレンタルヴィデオ店に通い詰めて映画を観ていた。現在はシネ・ウインドの上映企画部として映画漬けの日々を送り、ふと思うのは、いま子どもたちは映画を観ているのだろうか、ということ。いま小中学生の間では何が流行っていて、どんな話題で盛上がるのか。子どもたちと関わる機会がほぼないため、さっぱり分からない。ただ聞こえてくるのは「若い人はもう映画を観なくなった」という情報。
映画館の上映を考えるうえで、赤ん坊だろうとお年寄りだろうと、老若男女に映画を観てもらいたいし、映画文化が永く存続してもらいたい。『映画を愛する君へ』は1890年代、活動写真という新発明から映画の歴史を辿り、映画は人生より大切だという思い入れが次々と躍動して弾んでいく。昔から映画が好きで好きで仕方がないという人は勿論だが、若人たち、子どもたちにこそ観てもらいたい。新作映画が次々と完成して届けられるなか、海外のドキュメンタリー映画も増えている。そういった洋画にも貴重な証言やナレーションが多く含まれるので、日本の音響スタッフや声優による日本語吹替版やヴォイスオーバーの製作収録を積極的に検討してもらいたい。記録の視聴・鑑賞の間口をもっと広げてもらいたいと痛感した。
宇尾地米人


映画館は、街のあかり
映画館を巡る映画の特集上映【狂い咲きシネマパラダイスR】第二弾として、フィンランドの名匠アキ・カウリスマキが”手づくり”した映画館「キノ・ライカ」(2021年10月開館)を描くドキュメンタリーが登場する。
カウリスマキが暮らすカルッキラは首都ヘルシンキから車で約1時間、鉄鋼業を主力産業とし、深い森と湖を持つ、人口9000人ほどの小さな街だ。カウリスマキと、作家で詩人のミカ・ラッティは、廃工場を借り受け、街はじめての映画館づくりに乗り出す。自ら黙々と改装作業に取り組むカウリスマキとその仲間たち、映画館の完成を心待ちにする街の人々…。クアチア出身のヴェリコ・ヴィダク監督は、まるで「カウリスマキ映画」から抜け出してきたようなカルッキラの人々の群像を、鮮やかな映像美を伴って記録してゆく。
筆者は長年のカウリスマキファンであり、『枯れ葉』(2024年3月当館上映)の姉妹デュオ・マウステテュトットや、『ラヴィ・ド・ボエーム』で「雪の降る町を」を歌唱した篠原敏武始め、カウリスマキ所縁の人々や、その旧い友人たちが醸す空気感に、「こういう人たちとカウリスマキは映画を作ってきたのだなぁ」と感涙した。それ以上に、感傷を超えて、カウリスマキの映画に対する姿勢と、カルッキラの人々に、シネ・ウインドと新潟を重ねずにはいられなかった。

映画館を作ることを「街へのささやかな恩返し」と照れ臭そうに語るカウリスマキの、”金儲け”とは対極の志。映画館を核に集う人々の、ゆるやかな連帯。”街のあかり”として映画館が存在することの意義が、観る人の胸に沁みる本作。40周年を迎える当館で、じっくり味わっていただきたい。
久志田渉
