「誰が賛成しましたか。みんなが賛成しましたか」
少女が泣きじゃくりながら叫ぶ。
「みんなが賛成したわけではなかった」
口よどむ校長先生。
時は1987年、沖縄読谷村の高校の卒業式。国体を控えるこの春、卒業式での日の丸掲揚が行政指導で強制され、教師や生徒が反対する中、日の丸掲揚が強行された。その時、一人の在校生の女子生徒が、壇上からこの旗を引き摺り下ろす。
その時、たまたま現場にいたカメラがその場を捉える。
映画は「ゆんたんざ沖縄」、製作はシグロ、西山正啓監督によるドキュメンタリー作品である。当時、戦後三十八年、本土復帰十五年を迎える沖縄、戦争中の集団自決が明らかになった沖縄・読谷村のチビチリガマで、彫刻家・金城実氏らにより、平和の像の制作が進んでいた。制作の現場を追いながら沖縄の各地を取材していたクルーは、偶然その場に出くわしたのだ。
少女は、押しとどめる先生たちの間を縫って、旗を抱えてその場から走る。カメラはそれを追う。少女にとって、カメラは校長先生をはじめとする大人たちと同様、自分の敵でしかない。彼女は、講堂の裏の下水溝の泥水に旗を浸し、「もうイヤだ!」とカメラに向かって泥をはねあげ、その泥だらけの旗を校庭に投げつける。
校庭にぐちゃぐちゃになって棄てられたその旗を、カメラはじっと映し出す。泥がレンズに跳ね上がっている。そのレンズの向こう側に、泥にまみれた日の丸が棄てられている。
僕はこの映画を、おそらくはこの年の暮れ、新宿西口のビル群にあるホールで観た。少女が日の丸を投げつけた時、観客の誰かが歓声をあげた。だが僕はそんな気分にとてもなれなかった。あの投げつけられた泥が、実は自分に対して投げつけられたように見えたのだ。僕はその怒りの正体を実はよくわかっていなかったのだ。太平洋戦争で本土で唯一地上戦が戦われ、戦後はアメリカ軍が駐留し多くの基地を抱えるこの沖縄について、その怒りも悲しみも良く理解できていなかった。沖縄を踏みつけているのはアメリカや日本政府だけでない。ヤマトに住み、犠牲をウチナーに押し付けている、自分自身でもあるということを。
是枝裕和監督の2005年制作のテレビドキュメンタリー、「シリーズ憲法 第9条・戦争放棄「忘却」」を観た。作品の中で、大ヒットした木下恵介監督「二十四の瞳」を批判した大島渚監督の言葉が紹介される。大島は、この映画に流れる反戦の思想とは、結局、自分たち日本人は戦争の被害者であったという意識でしかない。観客は戦争はイヤだと批判しながらも、朝鮮人民の財産と血の犠牲のもとに戦後の復興を成し遂げたではないか、という意味の言葉で、日本人の反戦意識の底に流れる精神を批判する。
要するに、自分たちは戦争の被害者であるという意識は、裏を返すと被害にあわない戦争なら良いという考えにつながってしまう。それは、今をもって続く我々日本人の戦争に対する意識だ。自民党の政治家たちだって、心の中ではどうか知らぬが、戦争反対、平和が大事と口では言う。だが安保関連法案なる戦争法案を正当なものと考える彼らは、平和法案だなどとヌケヌケと口に出す。なぜって彼らにとって、アメリカと戦う戦争は良い戦争なのだから。高畑勲監督が自作「火垂るの墓」では戦争を止められないと語っているが、彼は、この作品に、自分たちの加害者意識が欠如していることを自己批判しているのだ。
シネ・ウインドで上映された「標的の村」を観た時、「ゆんたんざ沖縄」のことをいやでも思い出さざるを得なかった。オスプレイ基地配備に反対し普天間基地を封鎖する市民のたたかいに、単純な権力対市民の構図はない。実際に裏でふんぞり返っているのが誰であるかはおわかりだろう。いかにそのことを認識するかで、実際にこの映画が、我々の問題意識を揺り動かし、真に戦争を止める原動力を秘めているに違いないのだから。「二十四の瞳」や「火垂るの墓」にはなかった、加害者の記憶を揺り動かすのは間違いないのだから。
▲「戦場ぬ止み」より
さて、この作品と同じ三上智恵監督による、辺野古の海を埋め立てて新しい基地を建設せんとする権力に対するたたかいを描いた「戦場ぬ止み」(いくさばぬとぅどぅみ)が、この8月、シネ・ウインドで17日より上映される。「標的の村」も、同月15日、長岡アジア映画祭実行委員会の手により、アオーレ長岡市民交流ホールAで上映される。
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◎「戦場ぬ止み」(いくさばぬとぅどぅみ) 8/17(月)~9/11(金)
あの「標的の村」から2年―スクリーンに叩きつける、伝えきれない沖縄。 http://ikusaba.com/
★「戦場ぬ止み」が「山形国際ドキュメンタリー映画祭2015」のインターナショナル・コンペティション部門に選ばれました。
116の国と地域から応募された1,196作品のなかの15本。その1本です!