Believe in love

2015年2月15日
シネ・ウインド

「さよなら歌舞伎町」main2

(C)2014『さよなら歌舞伎町』製作委員会

Believe in love

ここ数日、ずっと「さよなら歌舞伎町」の主題歌をガラケーのMUSIC PLAYERで聞いている。
はまってる。
もう繰り返し繰り返し聞いている。
meg with SWEEP によるその歌声は実に美しい。
だけどその詞は、先鋭的だ。

「届けたい祈りが伝わらなくて嫌になる世界
誰かの言葉だけじゃイマイチ不安になる未来」

最近の事件を思い出す。外国の組織に奪われた人質は、テロに屈しないというお題目のもと政府に見捨てられ、この国の民もまた、その政権を支持し自己責任を唱える。

政治的なことはこのブログに書くなっていわれているので、このくらいにしておくけど、どうして世界は分かり合えないのだろう。
どうして人は、他者を分かろうとしないのだろう。

何年か前、深夜の牛丼屋、カウンターの一角で声高に話す若者のグループに、いきなり説教をはじめた四十代半ばくらいのオヤジに出くわした。おまえらうるせえぞ、仕事もできないくせに等々一方的にがなりたてるネクタイ絞めた背広男。彼の一方的な上から目線に腹がたった。確かに若者たちの声はちょっと耳障りだったかもしれないけど、あんたは会社で課長さんか部長さんか知らないけど、知り合いでもなんでもない若者に、仕事もできないくせになんて言い草はないだろう、普段彼らがどういう生活を送ってるかなんてわかりもしないくせに、そう口には出さなかったが思っていたら、五十代くらいの、調理場にいた女性の店員がしゃしゃり出て、この子たちはわたしの子ども、温かく見守ってあげてください、とおっさんを嗜めた。感動した。なんてイキなひとなんだ。オッサンも若者たちも呆気にとられていた。ちょっとはスッキリしたけど、心の中で背広男をdisってた自分も、やっぱあのオッサンの仲間なんだってことに気づいた。

バブル期を経てそれがハジケて陥った不況下のこの国で、散々シメつけられている我々は、更に逼迫する貧困若者層に何をしてやることもできず、ただがなりたてるしかできてないんだ。ユトリだニートだと差別しながら。若者も、せめてものウサばらしに一杯280円の牛丼をかきこみながら、けたたましくも談笑するしかないのである。あのイキなおばさんも、深夜労働で安い時給に少しでも上乗せしながら、息子なのか娘なのか老いた親なのかかは知らないが、誰かを懸命に支えているのだろう。あー、そしてあの背広男もまた、家や会社でイヤなことがあって、目減りし続ける給料で深夜残業した後なのかもしれないし。

「でもきっとそうやって誰もが同じ気持ちを持ってるのなら」

レノンのイマジンを思い出す。
みんながそう思えば簡単なこと。
やっぱりもっと想像力をはたらかそうよ。
disったり差別したりどなったりする前に、
自分以外の人への想像力を働かせようよ、と思う。

そして自分は、そのための映画を、思いを、みんなに発信したいと願う。
アラサー通信もそんな中から産まれた。シネ・ウインドってマニアックな映画をかけてるヘンな映画館みたいな意味のことを、シネ・ウインドの前にたたずんでいると、殆どの人がそうウワサしながら通り過ぎていく。
マニアック上等! でも、ここにいる我々はみんなと同じ人間だよ、そう言いたいから、アラサー通信を作る。
内容はないよー。さむっ。でも、ハートはいっぱい詰まっててあったかくてホットするよー、みたいな。

「I believe in love of life どんな時代だとしても
少しの勇気と優しさがあれば」

勇気や優しさだなんて、単に聞こえのいい言葉?
ううんそうじゃない、ぼくらに足りないのは、まさにそれなんだ。
あのオバサンみたいに、私の子どもたちだって言える? 見ず知らずの若者を。

「流した涙も いつかきっと
全て明日の糧になる」

また、最初から聞こう、とリピートする。

いかん、涙出てた。

(JASRAC未許可)