漫画家・中沢啓治が自身の生い立ち、広島での被爆体験から『はだしのゲン』を描くまでの半生を語る
『はだしのゲン』作者・中沢啓治が広島市内の思い出の土地を辿りながら証言、貴重な原画とともに決して忘れてはならない戦争と原爆の姿を見つめる
-もう黙っていない、自分にできるのは漫画しかない。漫画で原爆をとっちめてやる-
1945年8月6日の広島、中沢は国民学校1年生(6才)だった。原爆投下の時、奇跡的に助かるが、父・姉・弟を亡くし、被爆直後に生まれた妹も4ヶ月で亡くなった。漫画家として活動を始めてしばらくした頃、原爆病院に長年入院していた母が亡くなる。火葬し、骨を拾おうとすると粉々に砕けてほとんど残っていなかった。「原爆は母の骨まで奪うのか」怒りがこみ上げた。それまでは被爆者差別もあり「原爆」から逃げていたが、母の死をきっかけに「自分にできることは何なのか」必死に考え続け、原爆をテーマにした漫画の第1作目『黒い雨にうたれて』を描き上げた。その後少年ジャンプの編集者との出会いから『はだしのゲン』が生まれる。
-踏まれても大地に根を張りまっすぐ伸びる、そして豊かな穂を実らせる。「はだしのゲン」のテーマは麦なんです-
中沢は自らの体験を「ゲン」に託して描いた。父からの「麦のような人間になれ」という言葉を胸に、辛くて泣きたいときにはカラ元気で歌をうたって乗り越えてきた少年時代。『はだしのゲン』には人生の応援歌がこめられている。
-子どもたちに戦争、核兵器のない未来を追求し続けて欲しい、それには漫画がひとつの役割を果たしていると思う-
中沢は児童向けの漫画にこだわってきた。被爆のシーンを描写することに自身が苦しみ悩みながらも「体験した者にしか描けないことがある、それを読者に届けないと本当のことが分からない」と徹底して表現し続けた。「文章だと読みづらい子にも、漫画なら素直に入っていく。子どもたちに、素直に戦争反対の気持ちが根付いていってくれたら作者冥利につきます」中沢は笑顔で語る。
はだしのゲンが見たヒロシマ〈戦争映画特集2024〉
2024/8/6~8/6
上映後、石田優子監督リモート挨拶あり!
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