『ショーン・オブ・ザ・デッド』〈4K〉

2024年10月10日
若槻

10/19㈯~11/1㈮ ※10/22㈫、10/29㈫休館

特別興行のため、¥1,600均一料金 各種割引サービスの対象外となります

2004年 イギリス 1時間39分 配給:Filmarks

監督・脚本:エドガー・ライト

脚本:サイモン・ペッグ

製作総指揮:ティム・ビーヴァン / エリック・フェルナー / アリソン・オーウェン / ナターシャ・ワートン / ジェームズ・ウィルソン

製作:ニラ・パーク

撮影:デヴィッド・M・ダンラップ

編集:クリス・ディケンズ

美術:マーカス・ローランド

衣装:アニー・ハーディング

音楽:ダン・マッドフォード / ピート・ウッドヘッド

キャスティング:ジナ・ジェイ

出演:サイモン・ペッグ / ニック・フロスト / ケイト・アシュフィールド / ルーシー・デイヴィス / ディラン・モラン / ビル・ナイ / ペネロープ・ウィルトン / レイフ・スポール / ピーター・セラフィノイス/ ジェシカ・スティーヴンソン / ニコラ・カニンガム

 

ブラックユーモア弾む、愛と友情のサヴァイヴァル・コメディ

20年前、オーストラリアの『アンデッド』、アメリカの『ドーン・オブ・ザ・デッド』、イギリスの『ショーン・オブ・ザ・デッド』が台頭してきたことで、しばらくひっそりと落ち込んでいたゾンビ映画のブームが再燃したわけですね。スピエリッグ兄弟、ザック・スナイダーとジェームズ・ガン、エドガー・ライトらは飛ぶ鳥を落とす勢いで人気映画監督へと登り詰めていきました。

 

 特に『ショーン・オブ・ザ・デッド』が本国で大ヒットして以降、笑えて楽しいゾンビ映画を目指す若手映画作家が世界中で急増し、この映画が発表されていなければ例えば『ゾンビーノ』、『ゾンビランド』、『ロンドンゾンビ紀行』、『ゾンビ革命』、『ゾンビ・クエスト』、『ゾンビハーレム』、『ゾンビ・ヘッズ』、『ゾンビ・スクール!』など、日本映画でも『キツツキと雨』や『カメラを止めるな!』だって存在していなかったかも分かりません。それほどのエポックメイキングになったわけです。

 この映画はどうしてこれほどまでに可笑しくてスリリングで、充実感いっぱいなのか。エドガー・ライトとサイモン・ペッグによる脚本は、アメリカ映画『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』で描かれた、人喰いゾンビの出現によって大きな混乱に陥っている世界観を拝借。ペンシルベニア州ピッツバーグでは、ゾンビたちに追い詰められた生存者たちの絶望的な籠城戦が繰り広げられていたが、その頃、イギリス・ロンドンでは…という想定である。

 コメディアンで脚本家であるサイモン・ペッグが、公私ともに不調でヤル気のない電器店販売員の主人公を演じ、英国市民の日常と非日常を痛烈に体現していく。このサイモン・ペッグの個性と演技が、本作の主要ポイントだ。肝心なことに気が回らず、低調な生活が続けて、頼りなさや情けなさが滲み出ている悲哀は、現代社会の生ける屍に思えてくる。

 カノジョさんに愛想を尽かされ、のらりくらりともっさりしていたら、いつの間にか街中が痛ましいゾンビたちで溢れかえっていることに気づく、緩すぎる危機意識。友達と、カノジョと、お袋さんと、どうやって生き延びようか。考えに考え抜いた結果、いつも通っているパブ(=ウィンチェスター)に避難して冷たいビールを飲もうと一念発起。クリケット・バットを手に奮い立つ。そう、この世界が滅び始めて活き活きとするこの姿。この映画の可笑しみはここにあります。

 かつてジョージ・A・ロメロは大発生したゾンビたちが人肉を貪り、生き残った人間たちも争い合って滅んでいく構想を映画化し、イギリスの若きホラーファンたちはその筆致を継承しつつ、皮肉なイマジネーションとユーモアを膨らませていったんですね。アメリカ人や日本人はお買い物好きだからショッピングモールに逃げ込むけど、イギリス人はパブに立て籠って酒とタバコだというセンスに参りました。

 エドガー・ライト、サイモン・ペッグ、ニック・フロストらはぐつぐつと育んできたブラックユーモアを惜しげもなく披露し、続けて『ホット・ファズ』、『ワールズ・エンド』をもって”スリー・フレーバー・コルネット3部作”を完成させました。残酷、ギャグ、真心の映画調理、そのコクと鮮やかさ。これに世界各国の製作者たちが唸り、映画ファンたちは満悦、まさかのロメロ監督自身が「走るゾンビは好きじゃないから、『ショーン・オブ・ザ・デッド』は愉しめたよ」と発言したほど、面白味が波及していきましたね。怖くて、ダークで、アンモラルなゾンビ映画が一気に楽しいものになった。いろいろな人が面白がれるゾンビ映画を作り上げた。人間は発明して、継承して、肉が食べれる。この映画はひとつの希望であり、証明である。(宇尾地米人)